、乱暴者に違いなかったであろうに、その人がそういうのだ。その後打首が廃され、絞首になる時その器具を造るのを調べさせられて用いた夜、どうしても寝具合がわるく、三晩もうなっ[#「うなっ」に傍点]たので、役人なんざまっぴらごめんだと、噛《かじ》りつきたがるはずの椅子を投《ほう》りだしてしまった。そんな折の関係と土地ッ子なので、あの広大な土地を無償《ただ》でくれようというのだったろう。無償とはいわないで、長谷川この土地はお前の名にしておけといわれたのだったそうだ。その当時の政府要路に深い縁のない父でさえそうだったから、その他の懐が、ふくれほうだいだったのは言うまでもなかろう。岩崎は丸の内一帯の大地主だ、丸の内といえば諸大名の官宅のあった土地だ。
 その時、祖母も言った。
「浜町の三河様の邸《やしき》あとも、くれるといったのだそうだよ。」
 その時の断りかたがまたふるっている。折角ですが老母がいやがりますから――あすこは糞船《くそぶね》の一ぱい寄るところで――と。三河様の邸跡は大樹が森々《しんしん》として、細川邸とつづき塀越しに大川の水がすぐ目の前にあり、月見に有名な土地で、中洲は繁華になった。
 大橋と、両国橋の間の中洲には、懲役人が赤い着物を着て、小船にのって土運びをしていた。女橋と男橋がかかって、土地開きをしたころの夏の人気は、人形町通りから、埋たての中洲へと集っていた。ただもうめちゃくちゃ[#「めちゃくちゃ」に傍点]に賑かだった。おでんやは鍋《なべ》の廻りに真黒に人が立ち、氷やは腰をかける席がないほどの繁昌《はんじょう》だ。氷やといっても今のように小体《こてい》な店ではない。なかなか広い店で、巾の広い牀几《しょうぎ》が沢山並んでいた。涼しげな、大きな滝を忍ばせる硝子《ガラス》の簾《すだれ》――聯《れん》がさがって提灯《ちょうちん》や、花|瓦斯《ガス》の光りが映《うつ》りゆらめき、いせいのよいビラが張りわたされ、ねじ鉢巻のあにいが二、三人手を揃えてガリガリ氷を掻《か》きとばしていた。小女が赤いたすきで忙《せわ》しそうに客の間を走っていた。
 いま、デパートの食堂へゆくと、ふと思出すのは、様子はかわっているが、あたしの子供の時分の、えびすやとか、ほていやとかいった呉服屋や、そのわきにあった、おしるこや萩《はぎ》の餅《もち》の店のことで、店さきの高いところから、長い暖簾《の
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