―あるいは白刃を縦横に突通し、ある時は蝋燭の灯を透間なく、横筒の蛇籠のように長い籠にならべて、その中を桃色の鉢巻きをした子供が、繻子《しゅす》の着物に袴《はかま》をつけて、掛声もろとも難なく飛抜ける。その鮮かな曲芸と、曲芸師の身なりが、漸《ようや》くポツポツ拾いよみしていた、曲亭馬琴《きょくていばきん》の『八犬伝』のなかの犬阪毛野《いぬさかけの》を思わせて、アンポンタンの空想ずきを非常に楽しませてくれた。もとより寄席ではない見世ものだから、その曲芸は客を誘うために、あるていどまで、外《おもて》に立見する客へも見せるから、人気はすばらしかった。怪談の前になると、立っているものも続々はいってきた。
高座の仕掛けは、その頃はやった何段返しとかいうので、後景《はいけい》が幾段にも変るのだった。場内が暗くなると行燈のそばに幽霊が立っている。青テルの人魂《ひとだま》が燃えゆれる――
「かあいやそなたは迷うたナァ」
と真打《しんう》ちの一蝶親方が舞台がかりでいうと、
「うらめしや……」
なんとかと幽霊がいうていた。だが、あたしはぞくぞく[#「ぞくぞく」に傍点]怖《こわ》がった。いま考えると、なかなか策師《さくし》だったといえる。江戸人の――いえ、当時の日本人の誰にも感じられる、厭《いや》な連想をもった、場処がらである。江戸三百年、どんなに無辜《むこ》の民が泣いたか知れない、脅《おび》やかされた牢屋のあとだ。ことに世の中が変動する前には、安政の大疑獄以来、幾多有為の士を、再び天日《てんぴ》の下にかえさず呑《の》んでしまった牢屋の所在地だ。鬼哭啾々《きこくしゅうしゅう》、人の心は、そこの土を踏むだけで傷みに顫《ふる》える。その心理を利用したのだ。たね[#「たね」に傍点]はどんなチャチなものでもかまわない。掴《つか》んだものが生きている。見る方、聴く方の、お客の方から働らきかけてくる神経の戦《おのの》きがある――そして、下座《げざ》にはおあつらえむきの禅のつとめ[#「つとめ」に傍点](鳴ものの名称)和讃やらお題目やら、お線香の匂いはひとりでに流れてくる。
人情の弱点の怖いもの見たさ、客は昼も夜も満員――夜は通りの四つ角の夜店と、陽気な桜湯の縁台が、若衆たちのちぢまった肝ったまをホッと救う――
底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日第1刷
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