くもあり、一つの記録ともなるであろうし、清水という人の性格もしっていたら書きたいが、子供心にはそうたいした事件《こと》であろうと思うどころか、覚えていたのが不思議なほどの、かすかな聞きかじりだ。老母《はは》にきいても、ぼんやりと、そんなこともあったっけというだけにしか覚えていない。
ある朝、お父さんが新聞に眼を通していると、横浜山手の、ある商館番頭の新築の家が焼けたと出ていた。それを見ると、父は「ああ、やったな。」と叫んだと、老母は言った。
その家には外国の火災保険がついていたのだ――
家財はその前に運び出してある。細君は東京によこし、自分とコックだけだったのだ。だが、彼は服罪しない。獄にもいれられた。だが、保険金は手にはいったのだ。商館では腕ききな番頭なので彼の下獄に困らされて、罪にしたくないといったのだとか。
とりとめもない記憶だが、私はこの二人の人を思出すと、時代の子という感を深くする。この人たちのそうした道にゆく心の動きと時代相を、もっとよく知ってるものにきかせてもらったならば、鬱勃《うつぼつ》たる野心と機智をもったこの男たちが、どんな気持ちで田舎侍の権官らの躍るにまかせる時代を睨《ね》めたか、一足飛びに平民の世界がくるように思えていて、その実士族の上下がひっくりかえったばかりだった世相に、才人だった彼らの不満がなかったか――
底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2003年7月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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