」
悲しそうにわざといって唄《うた》のように唄った。
そこでアンポンタンは、武家は精《しら》けた白米《こめ》をもらうのでないという事を知った。どんな風にして、お米を精《しら》けるのかきくと、薬研《やげん》で薬を刻むようにするのだといった。本町辺は薬種《やくしゅ》問屋の多いところなので、あたしは安座《あぐら》をかいて、薬草《くすりぐさ》を刻んでいるのを見て知っていたからよくわかった。祖母の持薬《あいぐすり》を買いにゆくと、種々な薬を集めて、薬研でくだいて袋に入れてくれた事も見ている。徳久利でどうして舂くのかといったら、薬研では玄米《こめ》が破《くだ》けてしまうから、貧乏徳久利で舂くのだといった。
「藤木さんもお米をついたの?」
「私の家は禄高《とりだか》だけ売ってお金にして、入用だけ白いお米で届けてもらったから――ていうと人聞きがいいが、来年の分も、さらい年の分も、金にし貸りてしまうので、よこす米がないってわけさ。浅草のお蔵前に、幕府の米蔵をあずかっている商人があってね、旗本の咽喉《のど》を押えつけたのさ。そこから金にしてもらったり、白米で渡してもらったりしたものでね。清元の唄にある――首尾の松が枝竹町のって――百本|杭《くい》の向う河岸の、お船蔵の首尾の松さ、あすこにわれわれのもらう、幕府の米がうん[#「うん」に傍点]とうなっていても、そりゃもう我々のものじゃないって訳《わけ》でね。」
「どうしてお金にしてしまうの?」
「そこがね、どうも、ちっとお話にならない訳でね。」
藤木さんは頭をクルクル撫《な》でた。すると祖母が赤い胴の着物をもって来て、
「寝間着《ねまき》の丈《たけ》が短くて、足がつめたいとお言いだそうだが、長いのが間にあわないから私の下着を着て寝たらよい。」
「へえ?」
さすがの藤木さんも鹿《か》の子《こ》模様の赤い絹の胴をつまんで、呆《あき》れた顔をして言った。
「結構でございます。だが――いやに思わせぶりっていうわけで、有難いような、嬉しいような――百貫めの借銭負うて、紙衣《かみこ》着た伊左衛門じゃないが、昔をいやに思いださせるね。尤《もっと》も伊左衛門っていう柄じゃなかったってね。そうそう、あかい胴の方が似合う、お軽っていう役どころさ。――え? なんだって、猿芝居だって? 戯談《じょうだん》じゃないよ、廻りの八丈の方が本役だって? そうですよ、そうだよ。ヘイ、三角銀杏老《みつかどぎんなんろう》お見舞いたす。おみゃくはいかがかな?」
あたしの手をとって脈を見る真似をする。その晩、子供たちは何時《いつ》までも眠《ね》なかった。藤木さんがおひきすその、赤い胴ぬきの着物を着るのを見るまで――
底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2003年7月4日作成
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