先生が、まずあたしだけを部屋へよんで、お茶をくんでくれて、ぼた餅《もち》をとってくれたりする。すると、きっとあたしが泣き出すので、それからおまっちゃんを連れにゆく。おまっちゃんにもおなじようにぼた餅をとってやる。
暮れかかった町を、二人の幼い姉妹が連れだって帰ると、後の方から離れて、秋山先生がそっと送ってついてきてくださる――
秋山先生は女の子の仲間にいると女親のようにものをいった。ある春の日、山吹きのしん[#「しん」に傍点]をぬいて、紅《べに》で染めて根がけにかけてきた小娘《こむすめ》が交って、あたしのお座をとりまいていた。あたしはいつもの通り石盤へ人間を2の下へリの字をつけたような形に描いて、昨日の続きの出たらめ話をしているときだった。
「金坊《きんぼう》、沈丁花《ちょうじ》の油をつけてきたね。」
と通りがけに先生が言った。金坊とよばれたのは古帳面屋の娘で、清元《きよもと》をならっている子だった。ニコリと笑った、前髪から沈丁花の花をだして見せた。
この学校の向うに、後日《ごにち》あたしが生花《いけばな》を習いにいった娘の家で、針医さんがあった。もすこしさきへゆくと、塀ぎわに堀井戸があって、門内に渡り廊下の長い橋のある馬込《まごめ》さんという家があったが、そこの女中がお竹大日如来だったのだといって、大伝馬町の神輿《おみこし》の祭礼《おまつり》の時、この井戸がよく飾りものに用いられたが、ある時は団七九郎兵衛の人形を飾り、ある時はその家にちなんだお竹大日如来がお米を磨《と》いでいて、乞食《こじき》に自分の食をほどこしをしているのだった。
その隣家《となり》に清元の太夫《たゆう》とかいう瓢箪《ひょうたん》の紋の提灯《ちょうちん》をさげた駄菓子屋があった。石筆や紙や学校用品を売っていたが、売手のおかみさんが上手なので、近いところよりも、生徒はそこに集まった。おかみさんは学校用品よりも、青竹の筒にはいった砂糖|蜜入《みつい》りのカンテンや、暑くなるとトコロテンの突いたのをお皿に盛って買わせた。おかみさんはよく話した。清元のお師匠さんをしている自分の旦那《だんな》が、非常に声がよかったので仲間にねたまれて、水銀をのまされたので、唄《うた》う方が出来なくなったので、仕方なしに三味線の稽古《けいこ》をしているのだと、芸人のかなしみを、子供が感じるようにしみじみというのだっ
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