いとしたが、祖母はグングン傍《そば》を通っていった。
 別の部屋へかわってからも、隣席の人たちが妙にあたしを見て、首をひねったり、何かいったり、うなずいたりした。帰りには、松田の人たちに守られて、俥のおいてある裏口の方から出された。
「大丈夫です。みんな表|梯子《ばしご》の方ばかり見張っていますから。」
と送り出した人たちは言った。松さんは大急ぎで俥をひいて駈出《かけだ》した。
「おそろしやおそろしや、この子を支那人《なんきん》が浚《さら》おうとして――」
と、俥をおりると祖母は家の者に言った。
 赤ん坊のころ、若い母親の不注意から、釣《つり》らんぷの下へ蚊帳《かや》を釣って寝させておいたら、どうした事か洋燈《ランプ》がおちて蚊帳の天井が燃えあがった。てっきり赤ン坊は焼け死ぬものと誰もが思ったが、小さい布団《ふとん》のまま引摺《ひきず》り出されて眠っていたという子は、支那人の人浚いの難からも逃れたのだった。そのアンポンタンが、どうした事か音に好ききらいが激しくって、蕎麦屋《そばや》のおばあさんを困らしたが――

 丁度ここに、いつぞや『婦人公論』へ書いた短文をはさもう。

 隣家の蕎麦屋で粉《こな》をふるう音が、コットンコットンと響いてくると、あたしは泣出したものです。住居蔵の裏が、せまい露地《ろじ》ひとつへだてて、そばやの飛離れた納屋《なや》があったので、お昼過ぎると陰気なコットンコットンがはじまる。神経質な子供だったと見えて昼寝していても寝耳に聴附けて泣出したのです。両親や祖母が困ったと言っていたのは、後日《あと》できいた思出でしょうが、そのふるい[#「ふるい」に傍点]の音も厭《いや》だったに違いありませんが、その家全体が子供心にきらいだったのではないかと思われます。どうも暗い小さなそばやらしかったのです。「利久」といって、主人になった息子とお媼《ばあ》さんだけで、そのお媼さんが、骨だった顔の、ボクンとくぼんだ眼玉がギョロリとしていて、肋骨《あばらぼね》の立った胸を出して、大肌《おおはだ》ぬぎで、真暗《まっくら》なところに麺棒《めんぼう》をもってこねた粉をのばしていると、傍に大|釜《がま》があって白い湯気が立昇《たちのぼ》っていたり、また粉をふるっている時は――宅の物置のつづきのさしかけで、角《かど》の小さな納屋の窓から、そのお媼さんの皺《しわ》がれた肩には、汚
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