がけ(金巾は珍らしかったものと見える)、祖母《おばあ》さんのお古《ふる》の、絽《ろ》の小紋の、袖の紋のところを背にしたちゃんちゃんこを着せられて、てもなくでく人形のおつくりである。
 ――ある時(妹でも出来た時かも知れない)、理髪店《かみゆいどこ》ではじめて剃ってもらった時、私ははじめじぶくったが、あたしを抱いていた女中が大層機嫌がよかったので、しまいにはあたしまで悦《よろこ》んで膝の上で跳《は》ねた。職人はたぶん女中の頸《えり》をおまけに剃ってやっていたのであろうが、あたしがあんまり跳《はね》るので、女中にもなんしょで、ひょいと、あたしのお奴《やっこ》を片っぽとってしまった。あたしはなおさらよろこんだ。機嫌のよい女中におぶさって帰ってくると、すぐおせんべやの首振りお婆さんに見せにいった。ただ笑って、よころんで指で毛のないあとを押し示した。
「あらまあ、お供《とも》さんが片っぽおちて――」
 お婆さんは歯のない口を一ぱいにあいて笑った。だが、この人は直《じ》きなくなって、おせんべやは荷車の置場に、屋根と柱だけが残されるようになった。竹であんだ干籠《ほしかご》に、丸いおせんべの原形が干してあったのも、その傍《かたわら》にあたしの着物を張った張板《はりいた》がたてかけてあったのも、その廻りを飛んでいた黄色の蝶と、飛び去ってしまった。
 角の芋屋がまだ八百屋のころ、お其《その》という小娘が店番をしていた。ちいさい時、神田から出た火事で此処《ここ》らは一嘗《ひとなめ》になって、みんな本所《ほんじょ》へ逃げた時、お其は大溝《おおどぶ》におちて泣き叫んでいたのをあたしの父が助けあげて、抱《かか》えて逃げたので助かったといって、私の赤ン坊の時分からよく合手《あいて》をして遊ばせてくれた。だが、先方《さき》も正直な小娘である。店番をしている時、無銭《ただ》でとっていったら泥棒とどなれと教えこまれていた。あたしはまた、お金というものがある事を知らず、品物は買うものだということをちっとも知らなかった。他人《ひと》のものも、自分のものも、所有ということを知らず、いやならばとらず、好きならばとってもよいと、弁《わきま》えなく考えていたと見え、ばかに大胆で、げじけし[#「げじけし」に傍点]をおさえて見ていたが、急に口へもってゆこうとして厳しく叱られたりしたというが、その時も、お其《その》の店
前へ 次へ
全10ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング