川風に吹きさらされ、大川に鳴り響き、江戸中の曉の夢を破る櫓太皷が、とても地元の者の元氣を皷舞したのだ。一たいに色彩や、音響や、光りに缺けてゐた時代に、櫓太皷の破れるやうな強い音とか、花火の爆發とか、暗い空に開く火傘――といつたものは、光りと音響と色彩に麻痺しつくした近代人の、考へてやれないほど特種の魅力だつたに違ひない。
だが、江戸の都市美には田園風景を多分に抱へこんでゐた。いま、江戸憧憬者が惜がるのは、都の中にあつた田園水郷の風趣が、都會的に洗練されて小ぎたならしくないのと、それに織りまざつた豪奢な風流逸事を、現今の生活では、たとへ金があつてやつてみても氣分がそれに伴ひきれない怨みを、美しい追憶としてゐるやうだ。私も震災後の雜ばくたる下町へゆくと、生れ故郷ではあるけれど見たくない思ひがする。それはあまり見馴れすぎてゐた舊文明の殼《から》が眼のうらにありすぎるからだ。兩國橋畔の變りかたは實に汚ならしい。隅田川筋一帶がさうではあるが、他所《ほか》は近代的美を徐々に造りつつあるとき、兩國橋附近も直《ぢき》にさうなるであらう。
何處やら物悲しく感傷的にさへさせた花火――花火がすんだ暗い川を、遠くに流《なが》れてゆく三味線の音をきき、船の櫓のきしみを耳にしながら、話も盡きて、無言で漕がれてゆくのはさびしかつた。鐵橋や、鐵筋コンクリートの高樓や、高架線や、モーターボートや、種々な近代的都會美を輝やかせる花火の方が、どんなに花火らしい花火だか知れない。
草原などで、ポーン、ポーンと、青い玉や赤い玉の出るお粗末な花火を上げるのも好きだし、門の凉台であげる線香花火も可愛いと思ふが、兩國の川開きだけは立派な上にも豪壯なのが好い。近ごろでは仕掛け花火を主にするやうだが、河畔に集る人にはそれでよいが、全市を飾る、兩國の川開きなら、何處のビルヂングの窓からでも眺められる、遠景をおもんばかつた、とても雄大な火傘が、つるべ打ちにうちあげられて、空を飾るのが近代都市美の上からいつても本當だと思ふ。そして時間は短かい方がいい。花火もお酒を飮みながら見てゐるとしても、飮みかたも違つて來てはゐはしまいか。麥酒を一ぱいグツと飮むと、パンパン、パンパンパンと空で裂ける音は景氣がよからう。胸がスーツとするだらう。おそらく元祿時代の昔の人は、そんな氣持だつたのだと思ふ。ハツと手に汗を握るくらゐ、氣の弱いものは動悸がするほど目覺しくやつたら、川開きの人氣は兩國の川の上ばかりではあるまい。柳橋三業組合にまかせておかないで、川開き花火を全市のものにすることを、高いところに窓をもつレストランやカフエや、空間の多いビルヂング經營者にもすすめる。高架線のプラツトホームや、省線の窓からの見物なんかも素的な近代風景ではないか。
[#地から2字上げ](「改造」昭和九年七月)
底本:「桃」中央公論社
1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「改造」
1934(昭和9)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「回向院」と「囘向院」の混在は底本の通りです。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全5ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング