のも見えなくなつてゐた。
 新佃島から――明治四十年代から大正震|災《さい》すこし前まで住んでゐた――宅《うち》の門前から永代橋まで渡船をつくらせたことがあつたが、ある宵、あんまりお客が乘りすぎて、ちよき[#「ちよき」に傍点]の櫓を船頭がはづしてしまつて、潮が早く、グングン流れかけたら、お念佛をとなへだした者があつた。それが宅《うち》へ來たお客だつたので一つ話になつたが、それほど、すぐさきが沖だつたのでもあつた。
[#地から2字上げ]――昭和八年八月・週刊朝日――



底本:「隨筆 きもの」實業之日本社
   1939(昭和14)年10月20日発行
   1939(昭和14)年11月7日5版
初出:「週刊朝日」
   1933(昭和8)年8月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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