たのだ。いたずらに増《ふ》えた髪の霜《しも》でもなく、欠伸《あくび》をしてつくった小皺《こじわ》でもない。
 ――その間に、こんなにも、こんなにも、女人《おんな》の出る道は進展した――
 前の夜《よ》、あまり生々《いきいき》したグループのなかで、何時《いつ》までもいつまでも話しこんでいたあたしは、あんまり異《ちが》った仲間のなかにいて、たしかに戸まどいもしているのだった。年月などというものを、さほどに意識しない日頃であって、何時《いつ》も若い友達と一緒になっていられる幸福のために、かえって、死《しに》もの狂いであった誰彼《たれかれ》なしの過去に、ひたと、面《おもて》をこすりつけられたような思いだった。
 表面《おもて》に、溌剌《はつらつ》と見えるからといって、青春者《わかいひとたち》が、やはり世の中へたつのは、多少とも死もの狂いであるのと同様、先覚者《さきのひとたち》も決して休止状態でいるのではない。おなじ時代を歩んでいるのではあるが、まあ、なんと、今日《いま》から見れば、そんな些事《こと》を――といわれるほどの、何もかもの試練にさらされて来た人たちだろう――
 私は、神近市子《かみちかいちこ》さんの横顔を眺め、舞踊家林きん子になった、日向《ひなた》さんに、この人だけは面影《おもかげ》のかわらない美しい丸髷《まるまげ》を見た。
「清《きよ》も、よろこんでおりましょう。」
と、もとの座についた、白髪の老人は、重い口調で挨拶《あいさつ》をしていられる。
 それをきくと、周囲の人がわやわやとして、
「長い間、お心が解けなかったそうですが、いま、お兄さんがそう仰しゃったので、これで、仏さまとの仲も、解けて――」
と、いうような意味の言葉を、一言《ひとこと》ずつ、綴《つづ》るように言った。とはいえ、解けあわぬ兄妹《きょうだい》でも、遺骨は墓地に納めさせてくれてあったのを、その人々も知っている。墓を建てたのを、差出たことをしたと思われないようにとも、友達たちは老人をいたわるようにいった。
「どういたしまして、よく、あれの心を知ってやってくださる、あなた方《がた》に、こうして頂いた事は、よい友達をもった、彼女《あれ》の名誉で――」
と、兄という人は思慮深くいうのだった。
「あなた方は、彼女《あれ》のことばかりお聞きなさってでしょうが――」
と、老人は、感慨を籠《こ》めて、わたくしも困りましたと言っていた。
 そんな事も、よく聞きたいが、老人とわたしの座とは、かなり間がへだたっている。それに、洋服の男子《ひと》が、その老人の方へむかって坐って、何か話しかけているので、老人のいうことは、半分もきこえてこなかった。
「彼女《あれ》も、さぞ、わからない兄だと思ったでございましょうが、わたくしも困りました。わたくしの眼の悪くなったのも――」
と、黄白《きじろ》い四角い顔の、腫《は》れあがったような眼瞼《まぶた》に掌《てのひら》をかぶせて、
「ただいまで申す、殴《なぐ》りこみのようなことを、彼女《あれ》がいたしましたので――」
 新旧思想の衝突――さまざまな家族苦難の一節の、そんなことを話すように、口がほぐれて来たのは、記念の写真をとったり、お墓へ参ったりしたあと、谷中《やなか》名物の芋阪《いもざか》の羽二重団子《はぶたえだんご》などを食べだしてからだった。
「それはどんな訳で?」
と、きいたものがある。
「荷物でしたかなんだか、なんでもわたせと、男どもを連れて押かけてくるというので、それならばと、こちらでも、用心して人もいたのですが――戸障子をたたき破《こわ》すような騒ぎで、その時、乱暴人《あばれもの》に眼を打たれました。」
 視力も失《なく》したとでもいったのか、まあね、という嘆息もまじってきこえた。
「あ、あすこの――あの時の方ですか?」
 後向きの男の人の一人が、そんなふうに言っている。も一人の人は、遠藤氏といって清子さんとは同姓であって、死ぬきわまで一緒に暮していた人だということを、誰だったか、ささやいていた。
 雑誌『青鞜《せいとう》』や、その他の書籍がひろげられて、なき人の書いたものが載っているのを、人々は見廻した。しめやかではあるが、わやわやしたなかなので、気分も悪いわたしは、近間《ちかま》で話している、ほんの一つ二つの逸話しか耳に残らなかった。
「ごく若い時には日本髷《にほんがみ》がすきでね。それも、銀杏《いちょう》がえしに切《きれ》をかけたり、花櫛《はなぐし》がすきで、その姿で婦人記者だというのだから、訪問されてびっくりする。」
「『二十世紀婦人』の記者でしたろう、その時分は。」
「たしか、東洋学生会の仲間で、印度人に、英語を教えていたでしょう。」
 人々の眼には、ずっと若い時分の、遠藤清子さんが話されていた。わたしの眼には、それよ
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