ってやると、
「まあ、あの人も、仕事のことで、いま、お金がなくって困っているだろうに、送ってくれるなんて、少しでも、これは実に尊いお金だ。」
と、悦んだが、その時分には死を充分覚悟していて、泡鳴氏との遺児を、友達に頼みたいということを、遺言の第一に書いた。
悲しい結びつきであった。泡鳴氏にしても、大正四年四月、「新体詩作法」と、「新体詩史」を合したものを提出して、博士論文を要求していたのだが、審議に上《のぼ》っていた時に、清子さんと蒲原房枝とをめぐる事件の、世評がやかましくなったので、殆《ほとん》ど通過する間際《まぎわ》になって否定されたということだ。
廿八歳まで、霊肉一致の、恋愛至上主義に生きぬこうとした意志の強い女性の、ほんとにこれは、断片を語るにすぎないが、彼女が、泡鳴氏との同居に、頑固《かたくな》なほど身を守っていた明治四十三年は、幸徳《こうとく》事件があったりした時だった。
底本:「新編 近代美人伝(下)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年12月16日第1刷発行
1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「婦人公論」
1938(昭和13)年2〜3月
初出:「婦人公論」
1938(昭和13)年2〜3月
入力:門田裕志
校正:川山隆
2007年9月5日作成
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