席になっているところがわたしのために設けられた場所であった。貞奴は鏡台をうしろにして中央にいた。すぐそのとなりに福沢さんがいた。御馳走《ごちそう》の充分なのに干魚《ひもの》がなければ食べられないといって次の間で焼かせたりした。わたしは(ああこれだな、時折舞台が御殿のような場で楽屋の方から干魚《ひもの》の匂《にお》いがして来て、現実暴露というほどでもないが興味をさまさせるのは――)などと思っていた。福沢さんがお茶づけが食べたいというと、女茶碗《おんなぢゃわん》のかわいいのへ盛って、象牙《ぞうげ》の箸《はし》をそえてもたせた。新富座の楽屋うらは河岸《かし》の方へかけて意気な住居《すまい》が多いので物売りの声がよくきこえた。すると貞奴は、
「早くあの豌豆《えんどう》を買って頂《ちょう》だい、塩|煎《いり》よ。」
と注文した。福沢さんがあんなものをといったが、あたしは大好きなのだからと買わせて食べながら「これは柔らかいからおいしくない」といって笑った。
そうした様子がから駄々《だだ》っ子で、あの西洋にまで貞奴の名を轟《とどろ》かして来た人とは思われないまで他《た》あいがなかった。飯事《ままごと》のように暮している新夫婦か、まだ夢のような恋をたのしんでいる情人同士のようであった。貞奴の声は柔かくあまく響いていた。
「昨日《きのう》はね、痩《やせ》っぽちって怒鳴られたのですよ。この間はね、福桃《ふくもも》さん、あんなに痩せたよ――ですって……」
彼女は煙草《タバコ》をくゆらしながらおかしそうに笑った。そう言われないでも気がついていたが、彼女の体はほんとに痛々しいほど痩《や》つれていた。肩の骨もあらわならば、手足なぞはほんとに細かった。その割に顔は痩せが目にたたない、ふくみ綿をするとすっかり昔の面影になる。
(ああ、あの眼が千両なのだ)
あの眼が光彩をはなつうちは楚々《そそ》たる佳人になって永久に彼女は若いと眺められた。福沢粋士にせよこの人にもせよ、見えすいた、そんな遊戯気分を繰返すのは、醒《さ》めた心には随分さびしいであろうが、それを嬉《うれ》しそうにしている貞奴をわたしは貞淑なものだと思った。彼女は荒い柄のお召《めし》のドテラに浴衣《ゆかた》を重ね、博多《はかた》の男帯をくるくると巻きつけ、髪は楽屋|銀杏《いちょう》にひっつめていた。そうしたおりの顔は夫人姿の時よりもず
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