、何につけて人というものは深い察しのないものね」
などいってる時は、ただ普通の、美しい繊弱《かよわ》い女性とより見えないが、ペパアミントを飲んで、気焔《きえん》を吐いている時なぞは、女でいて活社会に奮闘している勇気のほども偲《しの》ばれると言った。それでも芝居の楽《らく》の日に、興行中に贈られた花の仕分けなどして、片づいて空《から》になった部屋に、帰ろうともせず茫然《ぼうぜん》と、何かに凭《もた》れている姿などを見ると、ただなんとなく涙含《なみだぐ》まれるときがある。マダム自身もそんなときは、一種の寂寞《せきばく》を感じているのであろうともいった。
寂寞――一種の寂寞――気に驕《おご》るもののみが味わう、一種の寂寞である。それは俊子さんも味わった。その人なればこそ、盛りの人貞奴の心裡《しんり》の、何と名もつけようのない憂鬱《ゆううつ》を見逃《みの》がさなかったのであろう。
貞奴は、故|市川九女八《いちかわくめはち》を評して、
「あの人も配偶者が豪《えら》かったら、もすこし立派に世の中に出ていられたろうに、おしい事だ」
といったそうである。これもまた貞奴なればこそ、そうしみじみ感じたのだ。自分の幸福なのと、九女八の不幸なのとをくらべて見て、つくづくそう思ったのであろう。それから推しても貞奴が、どれほど夫を信じ、豪いと思っていたかが分る。川上にしても貞奴に対してつねに一歩譲っていた。貞奴もまた負けていなかったが、自分が思いもかけぬような名をなしたのも川上があっての事だ、夫が豪かったからである、みんなそのおかげだと敬していたと思える。そうした敬虔《けいけん》な心持ちは、彼女の胸にいつまでも摺《す》りへらされずに保たれていたゆえ、彼女がつくらずして可憐であり初々しいのだ。彼女の胸には恒《つね》に、少女心《おとめごころ》を失わずにいたに違いない。
わたしはいつであったか歌舞伎座の廊下で、ふと耳にした囁《ささや》きをわすれない。それは粋《いき》な身なりをしている新橋と築地《つきじ》辺の女人らしかったが、話はその頃|噂立《うわさだ》った、貞奴対福沢さんの問題らしかった。その一人の年増《としま》が答えるところが耳にはいった。
「それは違うわ、先《せん》の妾《ひと》はああした女《ひと》でしょう。貞奴さんはそうじゃない、あの人のことだから、お宝のことだって、忍耐《がまん》が出来る
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