をただひとつのおもてなしにと鉢に盛る。折よく竹生島《ちくぶじま》の竹の菓子箸の新しいのがあつたのが嬉しかつた。
片月見をすると悲しいことがあるといふ古い諺にとらはれて、月見のしつらへをしなかつたのがかうなるともの足らない氣持ちがした。栗、きぬかつぎ、枝豆、そんなものでも持ちだしたかつたが、せめても、仁《まさ》坊がとつて來てくれたお花が生《い》きた。薄と紫苑を籠に入れて、床は嵐山渡月橋の幅にかけかへた。繪にはないが、この薄や紫苑のあるあたりが嵯峨野ともおぼせとほほゑみながら、さてもこの御住居の障子の煤けさはと氣になる。十月もなかばすぎたらば張りかへてと、月末の諸拂をあまり勘考しすぎたゆゑに手落とはなつたれど、すべては佗《わび》にかぎると拔道をこしらへて、夜更けてからの切りばり、大きな銀杏の葉二枚をきりぬいて張つた。
十一時、月はさやけし。十二時、いよいよ冴ゆる。一時、二時、もはやと縁の戸をたてきる。門は閉ざせど、叩かれて寢ぼけきつた顏をだすもいやとかしこまつてゐたが、湯加減を見ながらの退屈さは、舞臺の道具出來上つて、しばゐははじまらず、お客一人もない空席に、ぽつねんと坐つてゐるにも似てゐた。
だが訪れの主は、その時分には鯨飮して、速達を出したことなどは忘れてしまつてゐたであらうと思へば罪もない。
[#地から2字上げ](「不同調」昭和元年)
底本:「桃」中央公論社
1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「不同調」
1926(昭和元)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
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