]の字の講釈だそうである。こういう意味に取るときには、職業教育もよほど注意しなければならぬ。何故かというと職業を授けて行くに、その職業の趣味を覚えさせねばならぬし、そしてその職業以上の趣味を覚えさせぬようにもせねばならぬ。
かつて実業学校長会議の席上にて愚説を述べたことがある。その説の要点は、今日我日本に於いて、専ら職業教育を唱えるけれども、これには注意しなければならぬことがある。近頃我国には鍛冶屋のような学校もあれば、大工のような学校もある。高尚な学校は大学であるが、とにかく随分高尚な所まで、大工や左官の学問も進んで来ている。然るに実際今日職業の統計を取ったならば、必ずや日本国民の著しき多数は、車を挽《ひ》くのを渡世としている。日本国中の車夫の統計を挙げたならば、恐らくは全国の大工の数よりも、左官の数よりも余計に在りはせぬかと思われる。故に大工左官のために学校を建ててやる必要があるならば、その数の上からして、車夫のためにも学校を建てて遣ることが一層必要であろうというた。これは未だ僕がその筋に建議した訳ではないが、もし車夫学校を建てるとすると、それにはどんな学科が必要であろうかと思って、色々考えたが、先ず第一に生理学が必要と思った。彼らに取って欠くべからざるものは筋肉の労働である。車を曳く姿勢にも様々あり、また駆けるときにも、足を挙げて走る奴もあり、ヒョコヒョコと走る奴もある。これを兵式体操を教うるが如く、その筋肉を使う時分に「進めッ」といったら、こういう工合に梶棒を握り、足を挙げて駆けるのだと、一々教えてやったらドウであろうか。全国幾万という車夫が、最も経済的に筋肉を使用することが出来て、労力を多大に節約し得らるるだろう、これは大切な問題である。それに就いては一通り生理学を教えねばならぬ。生理学を教えておくことは独り車夫のためばかりでない、その車に乗るところのお客さんのためにも大なる利益がある。ちょっと車夫が客の顔を見て、「アアお客さん、あなたは脳充血でもありそうな方です」とか、あるいはちょっと脈を取って見て、このお嬢さんは心臓病があるとか分る、それで挽き加減をするようになる。また生理学ばかりでない、地質学も心得ていたらよかろう。客が彼方へ廻れといえば、すると、あそこの地質は何という地層で、雨の降る時分には中々滑る岩層であるとかいうことが分る。その他気象学も教え
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