、目的としたら宜いと思ふ。教育を飾りにする、これは一寸聞くと甚だをかしい。成程之は過ぎるといかぬ。總じて物は過ぎるといかぬのである、殊に飾りの如きはさうだ。婦人が髮でも飾るとか、或はお白粉を付けるとか、衣類を美麗にするとか、それにしても度を越えると堪らない。されど程好くやつて置くなら、益す其美色を發揮して、誠に見宜い者である。ナニ婦人に限つた事はない、男子でもさうだ、矢張り裝飾が必要である。男は何の爲に洋服の襟飾を掛けるか。矢張り幾らか裝飾を重んずる故だ。フロツクコートの背に幾つもボタンが付いてゐるが、彼所へあんな物を付けたのはどう云ふ譯であらうか、前には臍があるから、平均を保つ爲後に付けたのか、或は乳として付けたのか。乳なら前の方へ付けさうなものだが、後の方に付けるのは何う云ふものであらうか、何しろこんなものは無用の長物だと思へる。けれども一は縫目を隱すため、一は裝飾の爲だと聞くと成程と合點が往く。尤も之れは、昔、劍を吊つた時分、帶を止める爲にボタンが必要であつたのが、今では飾と成つたのだ。凡そ天下の物に裝飾の交らぬはなからうと思ふ。して見れば矢張り教育なるものも、一種の飾としてやつても宜い。
 學問が一の裝飾となると、例へば同じ議論をしても、一寸昔の歌を入れて見たり、或は古人の言行を擧げて見たりすると、議論其者が別にどうなるものでは無くとも、一寸裝飾が附いて、耳で聞き、目で見て甚だ面白くなるのである。其の裝飾が無くして、初から要點ばかり云つては心に入り樣が惡い。世間の人が朝出會つて『お早う』と云ふのも、一種の飾のやうなものだ。朝早いときには早いのであるから、別に『お早う』と云ふ必要が無い、默つて居れば宜からうに、さうではない。『お早う』と云ふ一言で以つて双方の間がズツト和ぐ。今まで何だか變な面《つら》だと思つた人の顏が、『お早う』を言つてからは、急に何となく打解けて、莞爾かなやうに異つて來る、即ち其の人の顏に飾が附いたやうになる。さうするとお互ひの交際が誠に滑かに行くのである。
 露國の聖彼得堡に一人の有名な學者がある。其人は波斯教の經典、『ゼンダ、アヴエスタ』に通じ、波斯古代の文學に精しく、而して年齡は八十ばかりになつて居るさうだ。此人が聖彼得堡の大學では一番に俸給が高い、ところが波斯の古代文學の事だから研究希望者が無い。それで先生は教場に出て講義をするけれど、之を聽く學生が一人も無い爲に、近頃は大學に出ないで、自分の家にばかり居るさうだ。それなら月給は何うするかといふと、それは滿遍なく取つて居るさうだ。愛媛縣知事安藤謙介君は露西亞學者で、あの人が露國の日本公使館に居た時分、露國の文部大臣であつたか、兎に角位地の高い役人に會つた時に、『彼の某はエライ學者だとか云ふけれども、其講義を聽く者が少しも無いさうだ。然るに其俸給は一番高い、幾千と云ふ年俸を取つて居るさうだが、隨分無駄な話で、國の費えでは無いか』と言つた。さうすると其役人の曰く、『どうして、あれは安いものである。波斯の古代文學を研究して居る者は、歐羅巴に彼一人しか無い。ところで偶々十年に一度とか、五年に一度とか、波斯古代の文學に就いて取調べる事があり、研究を要したり、或は學者の間に議論でも起るとなると、其事に精通したものが他に無いから、直ぐに先生の判斷で定まる。して見れば一ヶ年何千圓の年俸を遣つて置いた所で安いものだ』と云つたさうであるが、その某と云ふ學者は唯だそれだけの御用だ。之は何の爲であるか、乃ち謂はゞ國家の飾りだ。『斯う云ふ學者はおれの國にしかない、他に何處にもあるまい』と世界に誇れる。即ち波斯の古代文學に就いて、此人が專賣特許を得て居るのである。さう云ふ飾りの人物だから、一ヶ年三萬圓くらゐの俸給を遣つても安いものだ。日本では利休の古茶碗を五千圓、六千圓と云ふやうな金を出して買求め、之を裝飾にして居るものがある。是れは國の風習だから仕方がないけれど、之れよりも學者を國家の裝飾として居る方が宜からうかと思ふ。學問と云ふものは國の飾とでも言ふべきものである。又た個人より言へば、各自日常の談話に於ても、自然其所に裝飾が出來て萬事圓滑に行くのである。故に教育、或は學問の目的として此の裝飾を重んずることは、至當な事であらうと思ふ。
 第四[#「第四」に白丸傍点]の目的は一見した所、道樂或は裝飾に稍似てゐるが、大分に其の主眼が違ふのである。即ち第四の目的は眞理の研究である。一寸難かしいやうであるが、別に説明の要も無い。無論先きに言つた職業とは違ふ。職業を目的とする者ならば、之は果して眞理だか何だか、そんなことはどうでも構はぬ、金にさへなれば宜いのである。けれども學者と稱するものが學問をする時分に、之が果して眞理であるか無いかと云ふことを研究するのは、是は高尚な……最も高
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