なかつた者を以て學者風と云ふのは、抑も間違つた話だと思ふ。盖し學問の最大目的は人間を圓滿に發達せしむることである。
今日は學問の弊として、往々社會に孤立する人間を造り出す。彼のギツヂングスの社會學に『ソシアス』(Socius)と云ふ語があるが、之は『社會に立つて、社會に居る人』の意である。實に其通りで、苟も人間が此世に在る以上は、决して孤立して居られるものでない。人[#「人」に白丸傍点]と云ふ字を見ても、或る説文學者の説には、倒れかける棒が二本相互に支ふるの姿勢で、双方相持になつて居るのが人[#「人」に白丸傍点]だと云ふことだ。我々は社交的の動物であつて、决して社會以外に棲息の出來ないものである。だから吾人々類が圓滿に社會に立つて行けるやうにするのが教育の目的でなければならぬ。されど輕卒にあちらへ行つてはお追從を云ひ、こちらへ來ては體裁能くやつてゐる小才子を以て、教育の目的を遂げた者とは云はぬ。先づ己れの修むべき所のものは充分に之を修め、さうして誰とでも相應に談話が出來て、圓滿に人々と交際をして行けることが教育、即ち學問の最大目的だと思ふ。
我々は决して孤立の人間になつてはならぬ。飽くまでも此の社會の活ける一部分とならねばならぬ。然るに今までは動もすれば學問に偏してしまひ、學者と云ふと、何だか世の中を去り、山の中にでも隱れて、仙人のやうになつてしまふのであるが、之は大なる間違である。蓋し相持ちにして持ちつ持たれつするが人間最上の天職である。彼の戰國の時、楚の名士屈原が讒せられて放たるゝや、『擧世皆濁れり、我獨り清めり』と歎息し、江の濱にいたりて懷沙の賦を作り、石を抱いて汨羅に投ぜんとした。彼が蒼い顏をして澤畔に行吟してゐると、其所へやつて來た漁父が、『滄浪之水清兮、可[#三]以濯[#二]吾纓[#一]。滄浪之水濁兮、可[#三]以濯[#二]我足[#一]』と歌つて諷刺した。此歌の意味は、『お前が厭世家になつて河に飛込み、可惜一命を捨つるのは馬鹿なことだ。聖人と云ふものは、世と共に歩調を進めて行かねばならぬ、今死ぬる馬鹿があるか』と云ふ意味であらう。して見ると屈原よりも、漁父の方に達見がある。又た彼の伯夷叔齊は、天下が周の世と成るや、首陽山に隱れ、蕨を採つて食つた。其の蕨は實に美味しかつたらうが、我輩の伯夷叔齊に望みたいことは、蕨が美味しかつたなら、何故其蕨を八百屋へで
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