此方へ向いて來るのも亦た當り前である。夫れをこちらへ向かせまいと思つたら、あちらの方にも一つ美味しい肉を附けて、大工は東郷さんよりもモウ一際エライぞと云ふことを示さねばならぬ。ところが大工が東郷大將よりもエライと云ふことは一寸議論が立ちにくい。ヨシ立つた所で子供の頭には中々這入らない。止むを得無い、社會の趨勢で、青年がドウしても海軍に行きたがるやうになつた時には、之を押へ附けることは出來ない。けれども其局に當る教育者が、成丈生徒を其職業の方に留めたいなら、其職業の愉快なること、利益あること、而も只だ個人の爲のみの利益でない、一縣下、一國の爲の利益だ、公に奉ずる道だと云ふことを能く教へねばならぬ。ナニ大工學だ、左官學だ、そんなものは詰らぬと云つて、馬鹿にするやうではいかぬ。けれども世人が軍人々々と云つて居る間は、皆軍人に成りたいのは無理でないから、それで我々はお互ひに注意して、職業に優劣を附けないやうにせねばならぬ。
一體子供は賞められる方へ行きたい者である。小さい奴は錢勘定で動くものでない。日本人は賞められるのを最も重く思ふことは、日本古來の書物を讀んでも分る。日本人と西洋人との區別は其點に在るので、日本人は惡く云へばオダテ[#「オダテ」に傍点]の利く人間である、良く云へば非常に名譽心の強い人間である。譬へば日本の子供に對しては、此コツプを見せて、『お前が此のコツプを弄んではならぬ、若し過つて壞したら、人に笑はれるぞ』と云ふのであるが、西洋の子供に對してはさうでない。七八歳或は十歳くらゐの子供に對して、『此コツプは一個二十錢だ、若しもお前が此のコツプを弄んで壞したら、二十錢を償はねばならぬ、損だぞ』と云ふと、その子供はさうかなと思つて手を觸れない。日本の子供には損得の問題を云つても、中々頭に這入るもので無い。殊にお武士さんの血統を引いて居る人達はさうだ。『損だぞ。』『そん[#「そん」に傍点]ならやつてしまへ』と云つて、ポーンと毀してしまう。それで日本人の子供に向つて、『此コツプは他人から委ねられた品物だ、一旦他人から保管を頼まれたコツプを壞すと云ふのは、實に耻かしい次第だ、大切にして置け』と斯う云ふのも宜いが、それよりは『お前がそんな事をすると、あのをぢさんに笑はれるぞ』と云ふと直ぐに廢めてしまふ。人に笑はれるほど恐ろしいものは無いと云ふのが、今日の所では日本人の
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