、今まで脳で働いていたエネルギーは宇宙に遍満せる絶体エネルギーに帰してしまったのである。そして私も早晩そうなると思うと、彼が先駆けしたのを羨しくも思った。そんな事で今度はさほど悲しみの感じも長く跡へは残らなかった。そこでこの惟行の屍とかつて死した楽女の屍は青山の墓地へ葬って置いたが、楽女の石碑は建てたけれども惟行の方は墓標の木の建っているのみで、久しく石碑を建てなかった。それは私が金に不自由なのと、一つは石碑を建てるならいっそ一家共同の石碑を建て、内藤家代々の墓とするがよいと思ったからである。そして幸に大正八年の末に、下山霜田氏の周旋で私の書いたものが売れて、いわゆる揮毫料が手に入ったので、その中から一番奮発して右の石碑を造る事にした。尤も両児は屍のまま一坪の墓地へ埋めたのであるが、これから私は勿論段々と死んで行く家族も、屍は必ず火葬にして、そしてこの石碑の下へ骨だけを葬る事と極めた。そこで墓石の下には、石で小さな穴倉が出来ていて、まず骨壺の十個位は入れ得る事になっている。年齢からいっても、私がまずこの穴倉の最初に入る、それから妻やその他が附いて来るので、後には随分賑々しくなるであろうと思うとちょっと可笑しい。これはまたぞろ最近の話にも立到った。
 なお卅九年であった、常盤会寄宿舎は随分古い建物で、間取りも不便だという事から、久松家にも改築せられる考えもあったのだが、日露戦争の騒ぎなどで、延引していたのを、いよいよ決行される事になった。この改築中は、八ヶ月ばかり私は四谷の荒木町に移住していた。この頃の家庭は妻と末の男子和行のみであった。長男健行は前にいった、宮崎県より更に台湾の農事試験場に転任していたし、次男の惟行は北京で病み付いた頃であるから宅には居ない、それからいい落したが、次女の静はもう十年も前日清戦争の終った年に、凱旋した同郷人の騎兵大尉の小崎正満へ嫁した。この静や長女の順やそれが生んだ孫や曾孫などのことは、この先で段々と話す事にしよう。さて寄宿舎の改築も出来あがったので、私もそこへ住む事になって前よりは多少清潔にもなったのだが、この監督宅は寄宿舎と違って、古建物を移されたのであるし、門も崖端の狭い道についていたから、人力の乗り付けも出来るか出来ない位で、かなり不体裁なものであったのである。それで惟行の棺を出す時は門から出るには轅《ながえ》が支えるので、板塀を少し取り除けたというような事もした。
 この寄宿舎を改築の際から、今までは、寄宿生中より抜擢して命じた舎監を特に他の同郷の壮年者に嘱托する事になって、そこで肉弾の著者で名を知られた、桜井|忠温《ただよし》氏、続いて陸軍中で才物の清水喜重氏が舎監となった、が、寄宿舎の学生も最初の頃と違って、真面目に勉強する者が少くなって、どうかすると学問より、父兄から貰う学資を酒代その他に費う者も出来たし、その上年々郷里の松山の中学校を卒業して、出京の上高等学校やその他の専門学校へ入学しようとする者が、一度や二度は、その試験に落第する、その落第者、即ち失望者が寄宿舎へ、転がり込んでいるのだから、いよいよザワザワして真面目に勉強する者が少くなった。それと共に少数の先輩や真面目に学問する者は多数者に圧迫されて逃げ出る者も段々と出来た。また改築以前は二十人ばかりを収容するに過ぎなかったのが、改築後間数も多くなったので、倍数の人数となって、その比例的にガヤガヤ生も多くなったのである。私は一体理論をするには長じているが、これに反して実務を弁じたり、多くの若い者を鞭撻したり、指導したりする事は短所である。そんな事から、私も理窟的には、いって聞かせて、多少矯正を計ろうとしたが、面と対してこそ反抗もせなけれ、陰ではやはり怠けている、夜分は酒を飲んで帰って大声を発する。そんな事が、久松家やその他の同郷人へ聞えると、凡てが私の監督の不行届といわれる、そんな事で私も監督で居る事が、もう厭になった。そして物価もその頃はさほど高くなかったから、いっそ監督をやめてもっぱら俳句の選者位で生活する方が気楽でよかろうと思ったので、その意を告げて、これもちょっとは許されなかったが、終に明治四十年の歳末頃に願いの如く責任を卸して、後の監督は、同郷の秋山好古氏がその時はまだ中将で騎兵監をしていた、それに譲った。そして舎監は法学士の船田一雄氏が少しその以前から嘱托されていたのである。そこで私は監督をやめると共に他に移住せねばならぬ事になったから段々諸方を探した末、やはり寄宿舎の近所の弓町一丁目へ小さいながら家屋を見付けて、そこへ住む事になった。これ以前私は未だ官吏生活をしていた頃、一時松山へ帰していた妻子を再び東京へ引取るために、神田三崎町の下宿から本郷へ借宅して住んだ。それが、あたかも同じ弓町一丁目で、今度は廿八番地だが
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