も説諭がしたい、また藩の役人達の説諭の様子も見たいとあったので、町会所という所へ信徒を呼び寄せ、庭へ筵《むしろ》を敷いて坐らせ、権太丞始め我々の藩吏は座敷やあるいは縁側に居並んだ。それからまず権太丞が信徒に向って説諭を始めた。随分厳正な態度で声を荒くして叱りつけるように言ったが、信徒の中の何とかいう頭だった一人が、何らの怖れ気もなく、答弁して、上帝や基督《キリスト》の威霊を主張し、貴君方の御役人がそれを信仰せられないのが、かえって不都合だというような事まで言いかけた。中野はそれを『黙れ』と一喝してやはり説諭を続けた。そうして別席へ退いて、私どもへいうには、今日かように烈しく言ったのは、わざと敵役に廻ったのであるから、藩の方々は、これに反して、温和に説諭さるるがよい、その方が利き目があろうと注意した。そこでこれから私が説諭せねばならぬのであるが、未だ書生上りの無経験者であるから、伊佐庭史生に代って遣ってもらった。この人は弁舌もよく、多少の心学道話などの心得もあったから、権太丞の注文通り温和で寛大なる態度を取り、色々と譬えなどを引いて、なかなか巧く説諭をした。この時も信徒の頭だっている某は随分抗弁もしたが、それも充分に聞き入れつつその心得違いである旨を申し聞け、結局互の言い白らけでその日は引かせたが、中野権太丞も頗る満足して、なお私どもに取扱方を注意して置いて藩地を出発した。けだし他の囚徒を預っている藩々へも赴かれたのであろう。何しろパークス公使の圧迫のためには、日本全国に建てられていたいわゆる三札の中の『切支丹邪宗門禁制之事』とあるのを、『切支丹禁制之事、邪宗門禁制之事』と二行に書き改められた位だから、右の如く宗徒の取扱を寛大にせらるる事になり、わざわざ外務の高等官が、諸藩を廻るという事になったのも不思議はない。そうして、これは後の話しだが、廃藩置県となった際、この信徒は石鐵《いしづち》県へ引継いで、それから間もなく朝廷より放免の御沙汰があって元の長崎地方へ帰されて、切支丹否基督教もいよいよ黙許の姿となってしまったのである。
 この四年五月妻は長女を生み、順と名づけた。
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   十四

 これは昨年大改革の後の事で、父は従来の勤労の関係から、旧家老などに亜《つ》ぐ待遇を得て二等士となっていたが、突然知事家より伊勢の藤堂家へ使者に行く事を頼まれた。それは知事家奥向に或る事情があって、参事あたりよりも、それについて配慮した結果、定昭公の実家である藤堂家に諒解を求むる必要があったので、父は外交にも馴れているという事から、実は藩庁の推薦に出たものである。その往復は僅の日数で、帰って後の話しに藤堂家では頗る優待を受けて、漢学者で名を知られている土井※[#「敖/耳」、第4水準2−85−13]牙《どいごうが》氏やその他画家などを召されて、藤堂知事公も臨席して酒盃を取交わされたという事である。この伊勢から戻って間もなく父は隠居を願って、家督を私へ譲った。家督といっても以前なら、家禄があるのだが、この頃は最う士族一般が平均禄で、前にもいった、一家につき廿俵と家族一人につき一人半扶持とを先代の如くもらうのみである。尤も私は権少参事を勤めているから、この年俸は別に貰っていた。父は隠居と共に櫨陰と号して、それからはもっぱら詩を作りまた拙筆ながら書なども書いた。そうして常に文事の交りをしていたのは、漢学者では伊藤閑牛翁、医師では天岸静里氏などであった。
 この頃東京の藩邸では、公用人が、もっぱら朝廷に対する用弁をしていたのだが、それの監督かたがた、大参事と少参事とが替り合って出張する事になった。そうして大参事は、正権共に公儀人の役目も持った。そこでその頃少参事の小林信近氏が東京へ出張したので、氏がその頃管理していた、刑法課を私が暫時代理した。即ち学校課の外にこの刑罰等に関する事務にも関係したのである。その頃の白洲というは罪人を訊問する処で、刑法課の属官が主任となり、その下に同心とか、手先とかが囚人を直接に取扱った。故に権少参事の私は、それを隙見をするのみであったが、その頃の事とて、罪ありと認めた者が容易く自白せぬ時は、拷問にかけた。拷問法も種々あったがまず軽いのは、灸を握りこぶしほどに大きくかためてそれを衣をまくった膝の上に置いて火を点し、漸々と燃え立っている火が下へ喰入って行く、そこで今に痛くなるぞと言って手先が脅す、囚人も最うたまらぬから、申上ます、申上ますというと、その灸を払い捨ててやる。けれども、強情なのは随分その大きな灸の火に苦痛を忍ぶものもあった。それから、鉄棒挟というがあって、鉄の二本の棒の一方を釘止めにしたその間へ足を挟んで上から締め付ける、すると骨まで挫けそうで痛いから罪人は白状する。あるいはその鉄棒挟みを衣を捲った膝の
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