常に愉快であった。殊に店主の初見氏が白山芸者数名を余興として寄附されたのも深く感謝する所である。
 以上の如き数々の祝賀会に対しては、私が自筆の『迎へしは古来稀なる春ぢやげな』の句を染出した帛紗を配った。が、京都や大阪や松山の厚意を受けた人々へは、未だそれを送っていない。そうこうするうち、早数年を経たが、是非生前に何かの挨拶をせねばならぬのである。今一ついい落したが、俳人側においても中野|三允《さんいん》氏が催しの祝賀会は、牛込の清風亭で開かれ、渡辺|水巴《すいは》氏の曲水吟社で催しの会は上野の花山亭で、倉重禾刀氏の乙卯吟社で催しの会は飯倉の熊野神社で開かれまた南柯吟社の武田桜桃氏等の催しは、日本橋の常盤倶楽部であった。就中常盤倶楽部は殆ど二百名の出席者で私にとっては過分の盛況であった。なおこの外、雑誌、『曲水』『南柯』等では特に私のために記念祝賀号を発行して下さった。また林露竹氏等の千代田吟社からは唐木の書棚を贈られるし、その他の人々からも祝賀の記念物を数々貰ったのは私の名誉とする所である。しかるに私であるが、例の貧乏老人はどうか一番自分にも祝賀の大会を開いて、多くの厚意を受けた人々を招待したいと思うけれども、とても出来ぬ。そこで一夕僅に親族だけを芝浦の某亭(名を忘れた)に案内して小賀宴を開いた。これも旧藩主久松伯爵家の家令で居る弟の克家が多くの幇助をしてくれたことであった。
 私の晩年の思い出は、まずこの古稀の祝賀会であって、その後は別に話す事もない。また私は前途なんの企画する事もなく、ただ担当している多くの俳事を、その日その日と弁じているが、つい生き延びて本年は七十六歳となった。老年に比較して精神だけは頗る健全だが、身体の方は漸々と衰弱して殊に寒気には閉口する。幸に去年からそれを凌いで来て、これからは、いわゆる小寒大寒を凌がねばならぬ。果して凌げるかどうかは神ならぬ私は全く知らないのである。
[#改丁]

[#ページの左右中央]
   附録 鳴雪俳句抄録
[#改ページ]

[#ここから3字下げ]
  新年の部

元日や一系の天子不二の山
六日はや睦月は古りぬ雨と風
朝拝や春は曙一の人
輪飾や吾は借家の第一号
輪飾の低うかゝりし戸口かな
打ちつれて夜の年賀や婿娘
万歳や古き千代田の門柱
万歳の鼓を炙る竈かな
妻猿の舞はですねたる一日かな
春駒や美人もすなる物貰ひ
前へ 次へ
全199ページ中195ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング