喰い止めたが、その与党が我県と海を隔ている大分県にも蜂起して、今にも我県へ攻め来りそうになった。しかのみならず、県下でも、宇和島、大洲方面には大分西郷に心を寄せる者もあって、少しも油断のならぬ状況になった。或る日警察課長の武藤某氏がこれから大洲地方へ出張するといって、部下を随えて行ったが、三、四日して帰った時は、多くの国事犯人を捕縛して来て裁判所の方へ引渡した。これは大洲と宇和島との不平党仲間で、大分県の蜂起すると共に、我県でもこれに応じねばならぬといって、密に兵器を貯えて、まず松山の県庁を襲撃するという事に申し合っていて、今やそれを実行せんとする際、武藤警察課長が入り込んで捕縛したのであった。銃器弾薬などは、その人々の家の縁の下などに隠してあったという事である。して見ると、一つ違えば県庁へ打ち込まれて、我々の県官もひどい目に遭うのであった。尤も県庁でも、何時事変が起るかも知れぬというので、多数の県官が、宿直する事になっていて、私も宿直の日は短刀位は用意し、なお元気を付けるために瓶詰の酒位は携帯していた。そんな事で学事は多少捨て置かるる事になったが、いつまでもそうしては居られぬというので、段々と学校の視察員も派遣されて、私は宇和島方面へ行く事になった。そこで、南宇和郡というは、大分県と海を隔てて相対する地方だが、そこの城辺小学校というを視察するため一泊していると、俄に騒がしくなって、今薩州方の軍艦が海岸へ着いたといって、荷物などを片付ける者もあった。そこで私も全く賊軍中に陥ったので、ひどい目に逢うだろうと驚いたが、逃るる路もない、刀を仕込んだ杖一本は携えていたけれども、実に心細い感がした。しかるに右の騒ぎは全く間違いであって、海岸に着いた軍艦は官軍の援兵で、大分県へ赴く途中碇泊したという事が分り、私もホット安心した。そのうち私の止宿している宿屋へも官軍の賄をせよといって来るし、そこらここらに往来する兵隊も見た。それが俄か製の粗末な小倉か何かの服で、鉄砲の外腰には長刀を佩びていた。これは例の抜刀隊に当る覚悟なので、多く、会津、仙台辺りの士族であった。そうして彼らは往年己れ等を賊として攻めた官軍の大将西郷が、今度はアベコベに賊となったから、復讐的に官軍となって征伐するという、或る敵愾心を持っていたのである。私はこんな事で、そこそこにこの地は引揚げた。なお宇和島から遥に隔
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