から、切支丹宗徒は無論厳罰にも処せらるべきであるが、既に外国と交際を開きその公使も来ているし、就中英国のパークスはこの信徒についても種々干渉するので、その取扱いさえ多少寛大にせねばならぬ事情となった。そうして少し以前長崎地方の切支丹信徒は或る藩々へ数十人ずつ分かち預けて、改宗の説諭をなさしめらるる事となり、我松山藩へも三十人ばかりの信徒を預かっていた。しかるに或る時朝廷からの御沙汰に中野外務権太丞がその藩へ出張するとの事で、間もなくその一行が到着したが、その用向きは、兼て預けてある切支丹信徒の事であった。しかるに、藩では、かつては厳刑に処せらるる位な者の事だから、凡てを獄屋へ入れ、男女も区別してあった。因てその事を答えると、さように過酷に扱ってはならぬといわれ、なお説諭方等の事も聞かれたが、実の処藩ではそんな事も余りにせないで、特別の掛員さえ設けてなかった。そこで俄に私へ学校係の外異宗徒取扱係という兼務を命ぜられた。そうして、権少属の和田昌孝氏史生の伊佐庭如夫氏にも同じ命があった。そこで、まず中野権太丞を案内して、獄屋において切支丹信徒の状態を見せた。この獄屋は城下外れの三津口にあって、やはり厳重な格子造りになっていたが、錠前を開けると、権太丞一行がまず這入って行く、そこで私等も這入ったが、獄屋は私には始めての事だから、頗る汚らわしく穢く思った。殊にこの信徒には、他の囚人よりは寛大にして少しの煮焚なども許していたから、その火気が充ちているので、一層臭気も甚だしかった。中野権太丞は、それらを見分した後、今後かような所へ置く事はならぬ、また一家の男女を分ち置くという事も悪いから、それを改めよとの事であった。因てこれらの信徒を置くために、城下外れでお築山という方面に卒の下等に属するお仲間という者を置いてあった棟割長屋があったのを他へ移して、そこへ信徒を住わして、一家は一戸ずつ同居させて、夫婦も子供も団欒させる事になった。子供はこれまでは女監の方に入れていたのである。そうしてこの信徒に或る一人はなんと思ったか早くより改宗したいと申し出たので、それだけは、獄屋以外に置いて特別に労っていたのであるが、この際同じ長屋続きに住う事になったので、その人が他の信徒に対して顔を合すのが極りの悪るそうな風をしていたのも可笑しい。これらは少し後の事で、中野権太丞は右の獄屋を検分した翌日自分に
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