実母の里を交野といって、そこには私からいうと祖母と叔父とその妻子がいた。叔父は砲術に長けていたが、武人であったから日々の勤というはなくて、至って閑であった。叔父はこの頃武人のよくする猪打や魚取りをする他に貸本を借りて読んでいた。貸本屋は松山の城下にも二軒あって、蔵書はかなり豊富であった。私も叔父の許へ行けばそれを読む事が出来たので、元来読書好きの私は、この貸本を手当り次第読む事になった。けれども当時多くの人が見た写し本の諸藩のお家騒動とか仇討とかいうものは、余りに文章が拙いので、少年ながらも読む気がしない。もっぱら読んだ物は馬琴の著作であった。八犬伝などはこれまで草双紙の方で見ていたが、今度いよいよ読本《よみほん》の方で見る事が出来たので直に最終まで読み通した。その他『弓張月』『朝夷《あさいな》巡島記《しまめぐりのき》』『侠客伝』『美少年録』等を初め、五、六冊読切の馬琴物は大概読んでしまった。
 これらを読むと共に、他の作者の読本は面白くないので、京伝や種彦の物を少しばかり読んで他は打捨って置いた。作者は忘れたが『神稲俊傑水滸伝』だけは聊か物足らず思いながらも読み了《おわ》った。それから洒落本とか人情本とかいう物も見たが、これらには未だ充分の趣味を有たず、また叔父も『そんなものを見るじゃない。』といって少しく戒められる風があった。その後いくらか年を取ってからは、随分そういう物も読んで、春水は勿論、その弟子の金水あたりの物が好いと思った。そこで田舎に居ながら、江戸の粋人の生活も聊か知る事が出来た。今日鳴雪が時々昔の江戸の粋人の事などをいうも、つまりその頃読んだ書物の耳学問で、多くは聞いた風に過ぎないのである。今一つ交野で読んだものに一九の『膝栗毛』等がある。これもなかなか面白い物と思った。
 かように貸本の味が分ると共に肝心の漢学の修行を怠る風が見えたので、遂には父が怒って貸本ばかり見るのならば、交野へはやらぬといわれ、父の眼を偸《ぬす》んで行くという位になった。
 それからこれは祖母の里で、宇佐美というがあった。この宇佐美の祖母の父なる人は当時もう死んでいたが、この人は漢学者で、漢詩を多く作り、また浄瑠璃(義太夫)が好きで、自分で浄瑠璃の丸本を書いたのも二、三種あった。それほど浄瑠璃には詳しかったから、凡ての浄瑠璃本は殆ど皆宇佐美の家にあった。尤もその一半はその家か
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