慣がつかない中は、忌わしく煩わしいものであるが、一旦既に習慣がついた以上は、それなしに生活ができないほど、日常的必要なものになってしまう。この頃では僕にも少しその習慣がついたらしく、稀れに人と逢わない日を、寂しく思うようにさえなって来た。煙草が必要でないように、交際もまた人生の必要事ではない。だが多くの人々にとって、煙草が習慣的必要品であるように、交際もまた習慣的な必要事なのである。
「孤独は天才の特権だ」といったショーペンハウエルでさえ、夜は婦などを相手にしてしゃべって居たのだ。真の孤独生活ということは、到底人間には出来ないことだ。友人が無ければ、人は犬や鳥とさえ話をするのだ。畢竟人が孤独で居るのは、周囲に自分の理解者が無いからである。天才が孤独で居るのは、その人の生きてる時代に、自己の理解者がないためである。即ちそれは天才の「特権」でなくて「悲劇」である。
 とにかく僕は、最近漸くにして自己の孤独癖を治療し得た。そして心理的にも生理的にも、次第に常識人の健康を恢復して来た。ミネルバの梟は、もはや暗い洞窟から出て、白昼を飛ぶことが出来るだろう。僕はその希望を夢に見て楽しんでいる。


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