から客の方で黙つてゐると、結局眦み合つてしまふ。そしてこの眦み合ひが苦しいのだ。かうした長尻の客との対坐は、僕にとつてまさしく拷問の呵責である。
 しかし僕の孤独癖は、最近になつてよほど明るく変化して来た。第一に身体が昔より丈夫になり、神経が少し図太く鈍つて来た。青年時代に、僕をひどく苦しめた病的感覚や強迫観念が、年と共に次第に程度を弱めて来た。今では多人数の会へ出ても、不意に人の頭をなぐつたり、毒づいたりしようとするところの、衝動的な強迫観念に悩まされることが稀れになつた。したがつて人との応接が楽になり、朗らかな気持で談笑することが出来てきた。そして一般に、生活の気持がゆつたりと楽になつて来た。だがその代りに、詩は年齢と共に拙くなつて来た。つまり僕は、次第に世俗の平凡人に変化しつつあるのである。これは僕にとつて、嘆くべきことか祝福すべきことか解らない。
 その上にまた、最近家庭の事情も変化した。僕は数年前に妻と離別し、同時にまた父を失つてしまつた。後には子供と母とが残つてるが、とにかく僕の生活は、昔に比して甚だ自由で伸々して来た。すくなくとも家庭上の煩ひなどから、絶えず苛々して居た古い気分が一掃されて来た。今の新しい僕は、むしろ親しい友人との集会なども、進んで求めるやうにさへ明るくなつてる。来訪客と話すことも、昔のやうに苦しくなく、時に却つて歓迎するほどでさへもある。ニイチェは読書を「休息」だと言つたが、今の僕にとつて、交際はたしかに一つの「休息」である。人と話をして居る間だけは、何も考へずに愉快で居られるからである。
 煙草や酒と同じく、交際もまた一つの「習慣」であると思ふ。その習慣がつかない中は、忌はしく煩はしいものであるが、一旦既に習慣がついた以上は、それなしに生活ができないほど、日常的必要なものになつてしまふ。この頃では僕にも少しその習慣がついたらしく、稀れに人と逢はない日を、寂しく思ふやうにさへなつて来た。煙草が必要でないやうに、交際もまた人生の必要事ではない。だが多くの人々にとつて、煙草が習慣的必要品であるやうに、交際もまた習慣的な必要事なのである。
「孤独は天才の特権だ」といつたショーペンハウエルでさへ、夜は淫売婦などを相手にしてしやべつて居たのだ。真の孤独生活といふことは、到底人間には出来ないことだ。友人が無ければ、人は犬や鳥とさへ話をするのだ。畢竟人が孤独で居るのは、周囲に自分の理解者が無いからである。天才が孤独で居るのは、その人の生きてる時代に、自己の理解者がないためである。即ちそれは天才の「特権」でなくて「悲劇」である。
 とにかく僕は、最近漸くにして自己の孤独癖を治療し得た。そして心理的にも生理的にも、次第に常識人の健康を恢復して来た。ミネルバの梟は、もはやその暗い洞窟から出て、白昼を飛ぶことが出来るだらう。僕はその希望を夢に見て楽しんでゐる。



底本:「日本の名随筆 別巻35 七癖」作品社
  1994(平成6)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第九巻」筑摩書房
   1976(昭和51)年5月発行
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月3日作成
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