く思はれるらしい。何処へ行つても、お名前はと聞かれて、サクタラウと答へると、屹度作文の作ですねと言はれる。いやちがふと言ふと、どんなサクですかと反問される。そこで朔日《ついたち》の朔だと教へるが、これがどうも一向に人々に通用しない。「ツイタチのサク。さてね、どんな字ですか。」とまた反問される。そこで仕方がないから、ありたけの成句を並べてみる。元旦朔日の朔。朔風の朔。朔北の朔。正朔の朔。いくら言つてもまだ解らない。いよいよ困つて考へた末、近頃の時局ニュースで、よく新聞等に出る字を思ひ出す。そこで遡江部隊の遡という字からシンニユウを除いた朔だとか、国民に愬ふといふ愬から心を除いた上の字だとか言つてみるが、これもまた一向に利き目がない。しまひには両方で苛々して来る。「一体何ヘンなんですか。字を言つて下さい。」と、先方も少し癇癪を起して詰問するのが、いつも問答の最後に極つてゐるが、これが僕にはまた当惑の種である。といふのは朔といふ字のヘンが何ヘンなのだか、僕自身が無学で知らないのである。一度漢文の先生にでも聞いて見ようと思つてゐるが、それを教へてもらつたところで、結局一般人の対手に解らないのは同じであるから、実用上には何の役にも立たないのである。いよいよどうにも仕方がないので、指で机に字を書いて見せるが、それも三度位繰返さないと解らない。やつと解つてからも、ヘエ! むづかしい字ですなアと言はれる。
それで僕も面倒臭いから、たいていの場合は、何でも先方の言ふ通りに任せてしまふ。「作文の作ですね」と言ふから、「ああさうだ」と答へて簡単にすませてしまふ。しかしいちばん困るのは百貨店で買物をする場合である。標札の字と名前がちがふと、自宅配達が不着になる場合があるので、否でも正確な字を言はねばならない。或る新宿の百貨店で、鉛筆を手にもつた若い係りの店員と、例によつて百万遍問答を繰返してゐたら、和服を着た年配の店員が側から出て来て、「そりや君。八朔の朔だよ。」と教へたが、若い店員の方は、八朔といふ言葉が解らないらしく、一層困つて眼をパチパチしてゐた。成程考へてみれば、朔といふ字は、元来旧暦の暦から取つた字であるから、今の新暦しか知らない若い人には、平常慣れない怪異な文字であるかも知れない。そのくせ文部省の制限した漢字の中には、普通用語として入つて居るといふ話だから、そんなにむづかしい
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