になつてしまふ。私は近頃、或る女流詩人の詩集の会で、侮辱された一婦人のために腹を立て、悲しくなつて潸然と泣いてしまつた。何者にもあれ、人を侮辱することは我れを侮辱することになるのだから。
 所が病気になると、かうした生活焦燥が全くなくなり、かつて知らない静かな澄んだ気分になれる。なぜだらうか? 病気は一切を捨ててしまふからだ。私はこの二月以来、約二ヶ月の間も病気で寝床に臥通しだ。初めの間、さすがに色々な妄想に苦しめられた。だがしまひには、全く病床生活に慣れてしまひ、全く何事も考へなくなつてしまつた。病気の時は、人はただ肉体のことを考へる。健康が、少しでも早く回復し、好きな食物が食へ、自由な散歩が出来たらば好いと思ふ。病気の時ほど、人は寡欲になることはない。私に水とパンと新鮮な空気を与へよ。幸福は充分だとエピクロスが言つた。病気は、丁度さういふ寡欲さで、人をエピクロス的の快楽主義者にする。何の贅沢の欲望もない。普通の健康と自由さへあるならば、街路に日向ぼつこをしてゐる乞食さへも羨ましいのだ。
 何よりも好いことは、病気が一切をあきらめ[#「あきらめ」に傍点]させてくれることだ。病気の時に
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