き珈琲店は、行くところの侘しき場末に實在すべし。我れの如き悲しき痴漢、老いて人生の家郷を知らず、醉うて巷路に徘徊するもの、何所にまた有りや無しや。坂を登らんと欲して、我が心は常に渇きに耐へざるなり。

 新年  新年來り、新年去り、地球は百度※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]轉すれども、宇宙に新しきものあることなし。年年歳歳、我れは昨日の悔恨を繰返して、しかも自ら悔恨せず。よし人生は過失なるも、我が欲情するものは過失に非ず。いかんぞ一切を彈劾するも、昨日の悔恨を悔恨せん。新年來り、百度過失を新たにするも、我れは尚悲壯に耐へ、決して、決して、悔いざるべし。昭和七年一月一日。これを新しき日記に書す。

 火  我が心の求めるものは、常に靜かなる情緒なり。かくも優しく、美しく、靜かに、靜かに、燃えあがり、音樂の如く流れひろがり、意志の烈しき惱みを知るもの。火よ! 汝の優しき音樂もて、我れの夕ベの臥床の中に、眠りの戀歌を唄へよかし。我れの求めるものは情緒なり。

 國定忠治の墓  昭和五年の冬、父の病を看護して故郷にあり。人事みな落魄して、心烈しき飢餓に耐へず。ひそかに家を脱して自轉車に乘り、烈風の砂礫を突いて國定村に至る。忠治の墓は、荒寥たる寒村の路傍にあり。一塊の土塚、暗き竹藪の影にふるへて、冬の日の天日暗く、無頼の悲しき生涯を忍ぶに耐へたり。我れ此所を低徊して、始めて更らに上州の蕭殺たる自然を知れり。路傍に倨して詩を作る。

 監獄裏の林  前橋監獄は、利根川に望む崖上にあり。赤き煉瓦の長壘、夢の如くに遠く連なり、地平に落日の影を曳きたり。中央に望樓ありて、悲しく四方《よも》を眺望しつつ、常に囚人の監視に具ふ。背後《うしろ》に楢の林を負ひ、周圍みな平野の麥畠に圍まれたり。我れ少年の日は、常に麥笛を鳴らして此所を過ぎ、長き煉瓦の塀を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りて、果なき憂愁にさびしみしが、崖を下りて河原に立てば、冬枯れの木立の中に、悲しき懲役の人人、看守に引かれて石を運び、利根川の淺き川瀬を速くせり。

 戀愛詩四篇  「遊園地にて」「殺せかし! 殺せかし!」「地下鐵道にて」「昨日にまさる戀しさの」等凡て昭和五――七年の作。今は既に破き棄てたる、日記の果敢なきエピソードなり。我れの如き極地の人、氷島の上に獨り住み居て、そもそも何の愛戀ぞや。過去は恥多く悔多し。これもまた北極の長夜に見たる、侘しき極光《おーろら》の幻燈なるべし。

 郷土望景詩(再録)  郷土望景詩五篇、中「監獄裏の林」を除き、すべて前の詩集より再録す。「波宜亭」「小出新道」「廣瀬川」等、皆我が故郷上州前橋市にあり。我れ少年の日より、常にその河邊を逍遙し、その街路を行き、その小旗亭の庭に遊べり。蒼茫として歳月過ぎ、廣瀬川今も白く流れたれども、わが生の無爲を救ふべからず。今はた無恥の詩集を刊して、再度世の笑ひを招かんとす。稿して此所に筆を終り、いかんぞ自ら懺死せざらむ。



底本:「萩原朔太郎全集 第二卷」筑摩書房
   1976(昭和51)年3月25日初版発行
底本の親本:「氷島」第一書房
   1934(昭和9)年6月1日発行
入力:kompass
校正:今井忠夫
2003年12月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全5ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング