の類を多く用いたということだけを附記しておこう。そうした麻酔によるエクスタシイの夢の中で、私の旅行した国々のことについては、此所《ここ》に詳しく述べる余裕がない。だがたいていの場合、私は蛙《かえる》どもの群がってる沼沢地方や、極地に近く、ペンギン鳥のいる沿海地方などを彷徊《ほうかい》した。それらの夢の景色の中では、すべての色彩が鮮《あざ》やかな原色をして、海も、空も、硝子《ガラス》のように透明な真青《まっさお》だった。醒《さ》めての後にも、私はそのヴィジョンを記憶しており、しばしば現実の世界の中で、異様の錯覚を起したりした。
薬物によるこうした旅行は、だが私の健康をひどく害した。私は日々に憔悴《しょうすい》し、血色が悪くなり、皮膚が老衰に澱《よど》んでしまった。私は自分の養生《ようじょう》に注意し始めた。そして運動のための散歩の途中で、或《あ》る日偶然、私の風変りな旅行癖を満足させ得る、一つの新しい方法を発見した。私は医師の指定してくれた注意によって、毎日家から四、五十町(三十分から一時間位)の附近を散歩していた。その日もやはり何時《いつ》も通りに、ふだんの散歩区域を歩いていた。私の通る道筋は、いつも同じように決まっていた。だがその日に限って、ふと知らない横丁を通り抜けた。そしてすっかり道をまちがえ、方角を解《わか》らなくしてしまった。元来私は、磁石の方角を直覚する感官機能に、何かの著るしい欠陥をもった人間である。そのため道のおぼえが悪く、少し慣れない土地へ行くと、すぐ迷児《まいご》になってしまった。その上私には、道を歩きながら瞑想《めいそう》に耽《ふけ》る癖があった。途中で知人に挨拶《あいさつ》されても、少しも知らずにいる私は、時々自分の家のすぐ近所で迷児になり、人に道をきいて笑われたりする。かつて私は、長く住んでいた家の廻《まわ》りを、塀《へい》に添うて何十回もぐるぐると廻り歩いたことがあった。方向観念の錯誤から、すぐ目の前にある門の入口が、どうしても見つからなかったのである。家人は私が、まさしく狐《きつね》に化かされたのだと言った。狐に化かされるという状態は、つまり心理学者のいう三半規管の疾病であるのだろう。なぜなら学者の説によれば、方角を知覚する特殊の機能は、耳の中にある三半規管の作用だと言うことだから。
余事はとにかく、私は道に迷って困惑しながら、当推
前へ
次へ
全12ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング