歩きたかったからであった。道は軌道《レール》に沿いながら、林の中の不規則な小径を通った。所々に秋草の花が咲き、赫土《あかつち》の肌《はだ》が光り、伐《き》られた樹木が横たわっていた。私は空に浮んだ雲を見ながら、この地方の山中に伝説している、古い口碑《こうひ》のことを考えていた。概して文化の程度が低く、原始民族のタブーと迷信に包まれているこの地方には、実際色々な伝説や口碑があり、今でもなお多数の人々は、真面目《まじめ》に信じているのである、現に私の宿の女中や、近所の村から湯治に来ている人たちは、一種の恐怖と嫌悪《けんお》の感情とで、私に様々のことを話してくれた。彼らの語るところによれば、或る部落の住民は犬神に憑《つ》かれており、或る部落の住民は猫神に憑かれている。犬神に憑かれたものは肉ばかりを食い、猫神に憑かれたものは魚ばかり食って生活している。
 そうした特異な部落を称して、この辺の人々は「憑き村」と呼び、一切の交際を避けて忌《い》み嫌《きら》った。「憑き村」の人々は、年に一度、月のない闇夜《やみよ》を選んで祭礼をする。その祭の様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えない。稀《ま》れに見て来た人があっても、なぜか口をつぐんで話をしない。彼らは特殊の魔力を有し、所因の解らぬ莫大《ばくだい》の財産を隠している。等々。
 こうした話を聞かせた後で、人々はまた追加して言った。現にこの種の部落の一つは、つい最近まで、この温泉場の附近にあった。今ではさすがに解消して、住民は何所《どこ》かへ散ってしまったけれども、おそらくやはり、何所かで秘密の集団生活を続けているにちがいない。その疑いない証拠として、現に彼らのオクラ(魔神の正体)を見たという人があると。こうした人々の談話の中には、農民一流の頑迷《がんめい》さが主張づけられていた。否《いや》でも応でも、彼らは自己の迷信的恐怖と実在性とを、私に強制しようとするのであった。だが私は、別のちがった興味でもって、人々の話を面白く傾聴していた。日本の諸国にあるこの種の部落的タブーは、おそらく風俗習慣を異にした外国の移住民や帰化人やを、先祖の氏神にもつ者の子孫であろう。あるいは多分、もっと確実な推測として、切支丹《キリシタン》宗徒の隠れた集合的部落であったのだろう。しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。ホレーシオが言うように、理智
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