追懐をまどろみながら、母の懐中《ふところ》を恋するところの情緒である。それはキーツにもあり、シエレーにもあり、ポオやボードレエルの中にさへも、冬の季節に関する限り、必ず抒情詩の本質的な主題《テーマ》になつてる。特に日本の詩人として、与謝蕪村は天才であり、冬の抒情詩に於て、特別にすぐれた多くの俳句を作つて居る。

[#ここから3字下げ]
我れを厭ふ隣家寒夜に鍋を鳴らす
葱買ひて枯木の中を帰りけり
易水に根深流るる寒さかな
古寺やほうろく棄つる藪の中
月天心貧しき町を通りけり
[#ここで字下げ終わり]

 此等の俳句に現はれる、抒情味《リリツク》の本質は何だらうか。そこには何かしら、或る物なつかしい、昔々母の懐中《ふところ》でまどろむやうな、或はまた焚火の温暖を恋するやうな、人間情緒の本質に遺伝されてる、冬の物侘しい子守唄の情緒がある。それは昔の人々が、しばしば「俳味」と称してゐる者の一種であるが、蕪村の俳句の場合に於て、それが特殊にまたリリカルであり、人の情緒に深く沁み込んでくる者を感じさせる。例へば冬の寒夜に、隣家で鳴らす炊飯の鍋の音。或は荒寥とした枯木の中を、葱さげて家路に急ぐ人の姿は、さうした冬の季節の中で、ふしぎに物侘しく、孤独にふるへる生の果敢なさを感じさせ、何かしら或る暖かい、焚火の燃える家郷への、魂のノスタルヂアを追懐させる。思ふに蕪村といふ詩人は、かうした魂のノスタルヂアで、特別な思慕と情熱を有して居た。彼は真に天質的な詩人であり、且つ最も善きリリツクを持つてゐた詩人であつた。
(余事の議論に亘るけれども、俳句はもちろん抒情詩の一種であるから、本質に特殊なリリツクを持たないものは似而非物である。芭蕉も、蕪村も、この点では特別に皆すぐれた情熱を有した詩人であつた。俳句に於けるリリツクの本質は、その方面で「俳味」と言はれる情緒であるから、真の本質的な俳句であるほど、俳味が強く匂ひ出してるわけである。俳味を無視した単なる写生や客観描写を、俳句の本質と思つてる人々ほど、詩を知らない似而非俳人はないであらう。)



底本:「日本の名随筆20 冬」作品社
   1984(昭和59)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第九巻」筑摩書房
   1976(昭和51)年5月発行
入力:向山きよみ
校正:noriko saito
2009年5月5日作成

前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング