くるまで
私をゆり起してくださるな。
最も原始的な情緒
この密林の奧ふかくに
おほきな護謨《ごむ》葉樹のしげれるさまは
ふしぎな象の耳のやうだ。
薄闇の濕地にかげをひいて
ぞくぞくと這へる羊齒植物 爬蟲類
蛇 とかげ ゐもり 蛙 さんしようをの類。
白晝《まひる》のかなしい思慕から
なにをあだむが追憶したか
原始の情緒は雲のやうで
むげんにいとしい愛のやうで
はるかな記憶の彼岸にうかんで
とらへどころもありはしない。
天候と思想
書生は陰氣な寢臺から
家畜のやうに這ひあがつた。
書生は羽織をひつかけ
かれの見る自然へ出かけ突進した。
自然は明るく小綺麗でせいせいとして
そのうへにも匂ひがあつた。
森にも 辻にも 賣店にも
どこにも青空がひるがへりて 美麗であつた。
そんな輕快な天氣の日に
美麗な自動車《かあ》が 娘等がはしり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた。
わたくし思ふに
思想はなほ天候のやうなものであるか。
書生は書物を日向にして
ながく幸福のにほひを嗅いだ。
笛の音のする里へ行かうよ
俥に乘つて走つて行くとき
野も 山も ばうばうとして霞んでみえる。
柳は風にふきながされ
燕も 歌も ひよ鳥も かすみの中に消えさる。
ああ 俥のはしる轍《わだち》を透して
ふしぎな ばうばくたる景色を行手にみる。
その風光は遠くひらいて
さびしく憂鬱な笛の音を吹き鳴らす
ひとのしのびて耐へがたい情緒である。
このへんてこなる方角をさして行け
春の朧げなる柳のかげで 歌も燕もふきながされ
わたしの俥やさんはいつしんですよ。
蒼ざめた馬
冬の曇天の 凍りついた天氣の下で
そんなに憂鬱な自然の中で
だまつて道ばたの草を食つてる
みじめな しよんぼりした 宿命の 因果の蒼ざめた馬の影です。
わたしは影の方へうごいて行き
馬の影はわたしを眺めてゐるやうす。
ああはやく動いてそこを去れ
わたしの生涯《らいふ》の映畫幕《すくりーん》から
すぐに すぐに 外《ず》りさつてこんな幻像を消してしまへ。
私の「意志」を信じたいのだ。馬よ!
因果の 宿命の 定法の みじめなる
絶望の凍りついた風景の乾板から
蒼ざめた影を逃走しろ。
思想は一つの意匠であるか
鬱蒼としげつた森林の樹木のかげで
ひとつの思想を歩ませながら
佛は蒼明の自然を感じた。
どんな瞑想をもいきいきとさせ
どんな涅槃にも溶け入るやうな
そんな美しい月夜をみた。
「思想は一つの意匠であるか?」
佛は月影を踏み行きながら
かれのやさしい心にたづねた。
顏
ねぼけた櫻の咲くころ
白いぼんやりした顏がうかんで
窓で見てゐる。
ふるいふるい記憶のかげで
どこかの波止場で逢つたやうだが
菫の病鬱の匂ひがする
外光のきらきらする硝子窓から
ああ遠く消えてしまつた 虹のやうに。
私はひとつの憂ひを知る
生涯《らいふ》のうす暗い隅を通つて
ふたたび永遠にかへつて來ない。
白い雄鷄
わたしは田舍の鷄《にはとり》です
まづしい農家の庭に羽ばたきし
垣根をこえて
わたしは乾《ひ》からびた小蟲をついばむ。
ああ この冬の日の陽ざしのかげに
さびしく乾地の草をついばむ
わたしは白つぽい病氣の雄鷄《をんどり》
あはれな かなしい 羽ばたきをする生物《いきもの》です。
私はかなしい田舍の鷄《にはとり》
家根をこえ
垣根をこえ
墓場をこえて
はるかの野末にふるへさけぶ
ああ私はこはれた日時計 田舍の白つぽい雄鷄《をんどり》です。
囀鳥
軟風のふく日
暗鬱な思惟《しゐ》にしづみながら
しづかな木立の奧で落葉する路を歩いてゐた。
天氣はさつぱりと晴れて
赤松の梢にたかく囀鳥の騷ぐをみた
愉快な小鳥は胸をはつて
ふたたび情緒の調子をかへた。
ああ 過去の私の鬱陶しい瞑想から 環境から
どうしてけふの情感をひるがへさう
かつてなにものすら失つてゐない。
人生においてすら
人生においてすら 私の失つたのは快適だけだ
ああしかし あまりにひさしく失つてゐる。
惡い季節
薄暮の疲勞した季節がきた。
どこでも室房はうす暗く
慣習のながい疲れをかんずるやうだ。
雨は往來にびしよびしよして
貧乏な長屋が竝びてゐる。
こんな季節のながいあひだ
ぼくの生活は落魄して
ひどく窮乏になつてしまつた。
家具は一隅に投げ倒され
冬の 埃の 薄命の日ざしのなかで
蠅はぶむぶむと窓に飛んでる。
こんな季節のつづく間
ぼくのさびしい訪問者は
老年の よぼよぼした いつも白粉くさい貴婦人です
ああ彼女こそ僕の昔の戀人
古ぼけた記憶の かあてんの影をさまよひあるく情慾の影の影だ。
こんな白雨のふつてる間
どこにも新しい信仰はありはしない。
詩人はありきたりの思想をうたひ
民衆のふるい傳統は疊の上になやんでゐる。
ああこの厭やな天氣
日ざしの鈍い季節。
ぼくの感情を燃え爛すやうな構想は
ああもう どこにだつてありはしない。
桃李の道
老子の幻想から
聖人よ あなたの道を教へてくれ
繁華な村落はまだ遠く
鷄《とり》や犢《こうし》の聲さへも霞の中にきこえる。
聖人よ あなたの眞理をきかせてくれ。
杏の花のどんよりとした季節のころに
ああ私は家を出で なにの學問を學んできたか
むなしく青春はうしなはれて
戀も 名譽も 空想も みんな泥柳の牆《かき》に涸れてしまつた。
聖人よ
日は田舍の野路にまだ高く
村村の娘が唱ふ機歌《はたうた》の聲も遠くきこえる。
聖人よ どうして道を語らないか?
あなたは默し さうして桃や李やの咲いてる夢幻の郷《さと》で
ことばの解き得ぬ認識の玄義を追ふか。
ああ この道徳の人を知らない
晝頃になつて村に行き
あなたは農家の庖廚に坐るでせう。
さびしい路上の聖人よ
わたしは別れ もはや遠くあなたの沓音《くつおと》を聽かないだらう
悲しみのしのびがたい時でさへも
ああ 師よ! 私はまだ死なないでせう。
[#改ページ]
[#「海港之圖」の挿し絵]
海港之圖
港へ來た。マストのある風景と、浪を蹴つて走る蒸汽船と。
どこへもう! 外の行くところもありはしない。
はやく石垣のある波止場を曲り
遠く沖にある帆船へ歸つて行かう。
さうして忘却の錨をとき、記憶のだんだんと消えさる港を訪ねて行かう。
[#天から6字下げ]――まどろすの歌――
[#改ページ]
風船乘りの夢
夏草のしげる叢《くさむら》から
ふはりふはりと天上さして昇りゆく風船よ
籠には舊暦の暦をのせ
はるか地球の子午線を越えて吹かれ行かうよ。
ばうばうとした虚無の中を
雲はさびしげにながれて行き
草地も見えず 記憶の時計もぜんまい[#「ぜんまい」に傍点]がとまつてしまつた。
どこをめあてに翔けるのだらう!
さうして酒瓶の底は空しくなり
醉ひどれの見る美麗な幻覺《まぼろし》も消えてしまつた。
しだいに下界の陸地をはなれ
愁ひや雲やに吹きながされて
知覺もおよばぬ眞空圈内へまぎれ行かうよ。
この瓦斯體もてふくらんだ氣球のやうに
ふしぎにさびしい宇宙のはてを
友だちもなく ふはりふはりと昇つて行かうよ。
古風な博覽會
かなしく ぼんやりとした光線のさすところで
圓頂塔《どうむ》の上に圓頂塔《どうむ》が重なり
それが遠い山脈の方まで續いてゐるではないか。
なんたるさびしげな青空だらう。
透き通つた硝子張りの虚空の下で
あまたのふしぎなる建築が格鬪し
建築の腕と腕とが組み合つてゐる。
このしづかなる博覽會の景色の中を
かしこに遠く 正門を過ぎて人人の影は空にちらばふ
なんたる夢のやうな群集だらう。
そこでは文明のふしぎなる幻燈機械や
天體旅行の奇妙なる見世物をのぞき歩く
さうして西暦千八百十年頃の 佛國巴里市を見せるパノラマ館の裏口から
人の知らない祕密の拔穴「時」の胎内へもぐり込んだ
ああ この逃亡をだれが知るか?
圓頂塔《どうむ》の上に圓頂塔《どうむ》が重なり
無限にはるかなる地平の空で
日ざしは悲しげにただよつてゐる。
まどろすの歌
愚かな海鳥のやうな姿《すがた》をして
瓦や敷石のごろごろとする 港の市街區を通つて行かう。
こはれた幌馬車が列をつくつて
むやみやたらに圓錐形の混雜がやつてくるではないか
家臺は家臺の上に積み重なつて
なんといふ人畜のきたなく混雜する往來だらう。
見れば大時計の古ぼけた指盤の向うで
冬のさびしい海景が泣いて居るではないか。
涙を路ばたの石にながしながら
私の辮髮を背中にたれて 支那人みたやうに歩いてゐよう。
かうした暗い光線はどこからくるのか
あるいは理髮師《とこや》や裁縫師《したてや》の軒に artist の招牌《かんばん》をかけ
野菜料理や木造旅館の貧しい出窓が傾いて居る。
どうしてこんな貧しい「時」の寫眞を映すのだらう。
どこへもう! 外の行くところさへありはしない。
はやく石垣のある波止場を曲り
遠く沖にある帆船へかへつて行かう。
さうして忘却の錨を解き 記録のだんだんと消えさる
港を訪ねて行かう。
荒寥地方
散歩者のうろうろと歩いてゐる
十八世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか
青や赤や黄色の旗がびらびらして
むかしの出窓に鐵葉《ぶりき》の帽子が飾つてある。
どうしてこんな情感のふかい市街があるのだらう!
日時計の時刻はとまり
どこに買物をする店や市場もありはしない。
古い砲彈の碎片《かけ》などが掘り出されて
それが要塞區域の砂の中で まつくろに錆びついてゐたではないか。
どうすれば好いのか知らない
かうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを歩いてゐよう。
年をとつた婦人のすがたは
家鴨《あひる》や鷄《にはとり》によく似てゐて
網膜の映るところに眞紅《しんく》の布《きれ》がひらひらする。
なんたるかなしげな黄昏だらう!
象のやうなものが群がつてゐて
郵便局の前をあちこちと彷徨してゐる。
「ああどこに 私の音づれの手紙を書かう!」
佛陀
或は 世界の謎
赭土《あかつち》の多い丘陵地方の
さびしい洞窟の中に眠つてゐるひとよ
君は貝でもない 骨でもない 物でもない。
さうして磯草の枯れた砂地に
ふるく錆びついた時計のやうでもないではないか。
ああ 君は「眞理」の影か 幽靈か
いくとせもいくとせもそこに坐つてゐる
ふしぎの魚のやうに生きてゐる木乃伊《みいら》よ。
このたへがたくさびしい荒野の涯で
海はかうかうと空に鳴り
大海嘯《おほつなみ》の遠く押しよせてくるひびきがきこえる。
君の耳はそれを聽くか?
久遠《くをん》のひと 佛陀よ!
ある風景の内殼から
どこにまあ! この情慾は口を開いたら好いのだらう。
大|海龜《うみがめ》は山のやうに眠つてゐるし
古生代の海に近く
厚さ千貫目ほどもある ※[#「石+車」、第3水準1−89−5]※[#「石+渠」、第3水準1−89−12]《しやこ》の貝殼が眺望してゐる。
なんといふ鈍暗な日ざしだらう!
しぶきにけむれる岬岬の島かげから
ふしぎな病院船のかたちが現はれ
それが沈沒した錨の纜《ともづな》をずるずると曳いてゐるではないか。
ねえ! お孃さん
いつまで僕等は此處に坐り 此處の悲しい岩に竝んでゐるのでせう。
太陽は無限に遠く
光線のさしてくるところに ぼうぼうといふほら貝が鳴る。
お孃さん!
かうして寂しくぺんぎん鳥のやうにならんでゐると
愛も 肝臟も つらら[#「つらら」に傍点]になつてしまふやうだ。
やさしいお孃さん!
もう僕には希望《のぞみ》もなく 平和な生活《らいふ》の慰めもないのだよ。
あらゆることが僕を氣ちがひじみた憂鬱にかりたてる
へんに季節は轉轉して
もう春も李《すもも》もめちやくちやな妄想の網にこんがらかつた。
どうすれば好いのだらう お孃さん!
ぼくらはおそろしい孤獨の海邊で 大きな貝肉のやうにふるへてゐる。
そのうへ情慾の言ひやうもありはしないし
こんなにも切ない心がわからないの? お孃さん!
輪※[#「廴
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング