中で
ぽうとふくらむ蟾蜍
へんに膨大なる夢の中で
お前の思想は白くけぶる。

雨景の中で
ぽうと呼吸《いき》をすひこむ靈魂
妙に幽明な宇宙の中で
一つの時間は消抹され
一つの空間は擴大する。


 家畜

花やかな月が空にのぼつた
げに大地のあかるいことは。
小さな白い羊たちよ
家の屋根の下にお這入り
しづかに涙ぐましく動物の足調子をふんで。


 夢《とらうむ》

あかるい屏風のかげにすわつて
あなたのしづかな寢息をきく。
香爐のかなしい烟のやうに
そこはかとたちまよふ
女性のやさしい匂ひをかんずる。

かみの毛ながきあなたのそばに
睡魔のしぜんな言葉をきく
あなたはふかい眠りにおち
わたしはあなたの夢をかんがふ
このふしぎなる情緒
影なきふかい想ひはどこへ行くのか。

薄暮のほの白いうれひのやうに
はるかに幽かな湖水をながめ
はるばるさみしい麓をたどつて
見しらぬ遠見の山の峠に
あなたはひとり道にまよふ 道にまよふ。

ああ なににあこがれもとめて
あなたはいづこへ行かうとするか
いづこへ、いづこへ、行かうとするか。
あなたの感傷は夢魔に酢えて
白菊の花のくさつたやうに
ほのかに神祕なにほひをたたふ。


 寄生蟹のうた

潮みづのつめたくながれて
貝の齒はいたみに齲ばみ酢のやうに溶けてしまつた
ああ ここにはもはや友だちもない戀もない
渚にぬれて亡靈のやうな草を見てゐる
その草の根はけむりのなかに白くかすんで
春夜のなまぬるい戀びとの吐息のやうです。
おぼろにみえる沖の方から
船びとはふしぎな航海の歌をうたつて 拍子も高く楫の音がきこえてくる
あやしくもここの磯邊にむらがつて
むらむらとうづ高くもりあがり また影のやうに這ひまはる
それは雲のやうなひとつの心像 さびしい寄生蟹《やどかり》の幽靈ですよ。


 野鼠

どこに私らの幸福があるのだらう
泥土《でいど》の砂を掘れば掘るほど
悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか
春は幔幕のかげにゆらゆらとして
遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。
どこに私らの戀人があるのだらう
ばうばうとした野原に立つて口笛を吹いてみても
もう永遠に空想の娘らは來やしない。
なみだによごれためるとん[#「めるとん」に傍点]のづぼんをはいて
私は日傭人《ひようとり》のやうに歩いてゐる
ああもう希望もない 名譽もない 未來もない
さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが
野鼠のやうに走つて行つた。


 閑雅な食慾

松林の中を歩いて
あかるい氣分の珈琲店《かふえ》をみた
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
松間の かくされた 追憶の 夢の中の珈琲店《かふえ》である。
をとめは戀戀の羞をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほく[#「ふほく」に傍点]を取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた
空には白い雲がうかんで
たいそう閑雅な食慾である。


 馬車の中で

馬車の中で
私はすやすやと眠つてしまつた。
きれいな婦人よ
私をゆり起してくださるな
明るい街燈の巷をはしり
すずしい緑蔭の田舍をすぎ
いつしか海の匂ひも行手にちかくそよいでゐる。
ああ蹄の音もかつかつとして
私はうつつにうつつを追ふ
きれいな婦人よ
旅館の花ざかりなる軒にくるまで
私をゆり起してくださるな。


 野景

弓なりにしなつた竿の先で
小魚がいつぴき ぴちぴちはねてゐる
おやぢは得意で有頂天だが
あいにく世間がしづまりかへつて
遠い牧場では
牛がよそつぽをむいてゐる。


 絶望の逃走

おれらは絶望の逃走人だ
おれらは監獄やぶりだ
あの陰鬱な柵をやぶつて
いちどに街路へ突進したとき
そこらは叛逆の血みどろで
看守は木つ葉のやうにふるへてゐた。

あれからずつと
おれらは逃走してやつて來たのだ
あの遠い極光地方で 寒ざらしの空の下を
みんなは栗鼠のやうに這ひ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた
いつもおれたちの行くところでは
暗愁の、曇天の、吠えつきたい天氣があつた。

逃走の道のほとりで
おれらはさまざまの自然をみた
曠野や、海や、湖水や、山脈や、都會や、部落や、工場や、兵營や、病院や、銅山や
おれらは逃走し
どこでも不景氣な自然をみた
どこでもいまいましいめに出あつた。

おれらは逃走する
どうせやけくその監獄やぶりだ
規則はおれらを捕縛するだらう
おれらは正直な無頼漢で
神樣だつて信じはしない、何だつて信ずるものか
良心だつてその通り
おれらは絶望の逃走人だ。

逃走する
逃走する
あの荒涼とした地方から
都會から
工場から
生活から
宿命からでも逃走する
さうだ! 宿命からの逃走だ。

日はすでに暮れようとし
非常線は張られてしまつた
おれらは非
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