定し指定するに過ぎない。しかもその選定や指定すら、多くの困難なる事情の下に到底満足には行かないのである。されば芸術品の表装は、我等の作品の一部分であるにかかはらず、その実我等自身の趣味に属してゐないもの、むしろ多くの場合それは他人の趣味に属してゐる。しかしてこの一つの奇異なる事実――それが他人の趣味によつて選定されるといふこと――が、美術品や文学書の装幀に於ける最も興味ある哲学を語るものではないか。なぜといつて私の所有にかかはるところの油画は、それが他人の描いたものであるにかかはらず、私自身の好みによつて、勝手に自由にその額縁を選定し、よつて以て私自身の解釈による芸術を眺めることができるからだ。
 思へ一つの同じ音楽、同じ叙情詩、同じ宗教に対して、いかに多くの異つた解釈があるか。すべての芸術とすべての宗教とは、各の読者と各の弟子たちにまで、彼等自身の趣味を反映させるにすぎないだらう。たとへば日蓮は日蓮の個性に於て、親鸞は親鸞の個性に於て、同じ一人の釈迦を別々に解釈し――ああいかに彼等の解釈がちがつてゐたか。――そして私らは私らの個性に於て、私ら自身の趣味にふさはしいところのゲーテやシヨ
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