パンを、各自に別々に理解するまでの話である。だから保羅の説いた耶蘇教が、その実保羅自身の耶蘇教であつて、他のいかなる耶蘇教ともちがつてゐた――恐らくは耶蘇自身の耶蘇教ともちがつてゐた――と同じく、私の鑑賞によるところの雪舟は、私自身の雪舟[#「私自身の雪舟」に丸傍点]であつて他のいかなる人々の見た雪舟とも差別される。したがつてまたその表装も、勿論私自身の趣味によつてのみ選定されねばならないのだ。そこではどんな他人の表装も――恐らくは雪舟自身の表装も――断じて許すことができないのである。
 それ故西洋諸国の出版業者が、著者に対する尊敬と読者に対する愛敬とからして、やや高尚なる文学書類を多くパンフレツト(仏蘭西版の黄色本の類)で出版するのは、さもあるべき筈のことではないか。この仕方で出版された書物は、その特種なる国民的趣味を代表する表紙の一色によつて、作者自身の属してゐる民族別を表明するの外何の個別的な趣味をも指定してゐない。つまりその本当の装幀[#「本当の装幀」に丸傍点]は、一切読者自身の自由意志に任かすのである。それによつて読者は、正に彼自身の理解した「彼自身の著者」を、いつも「彼自身の趣味」によつて自由に完全に装幀することができるであらう。かくてこそ書物の著者は、正に読者の生活に「活き得た」のではないか。その各の人の装幀の価値に応じて、より浅く、またより深く、より自己に近く、また自己に遠く。



底本:「日本の名随筆 別巻87 装丁」作品社
   1998(平成10)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第四巻」筑摩書房
   1975(昭和50)年7月発行
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月3日作成
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