ならそれは、夢の現象と同じく、作者の潛在意識にひそむ經驗の再現であり、精神分析學だけが、科學的方法によつて抽出し得るものであるから。
それ故詩人たちは、本來皆、自ら意識せざる精神分析學者なのである。しかしそれを特に意識して、自家の藝術や詩の特色としたものが、西洋の所謂シユル・レアリズム(超現實派)である。シユル・レアリズムの詩人や畫家たちは、意識の表皮に浮んだ言葉や心像やを、意識の潛在下にある經驗と結びつけることによつて、一つの藝術的イメーヂを構成することに苦心してゐるが、單に彼等ばかりでなく、一般に近代の詩人たちは、だれも皆かうした「言葉の迷ひ兒さがし」に苦勞して居り、その點での經驗を充分に持つてる筈である。そこで私のこのコントは、かうした詩人たちの創作に於ける苦心を、心理學的に解剖したものとも見られるだらう。
貸家札 これも前と同じく、夢の潛在意識を書いたシユル・レアリズム風の作品である。原作では、これに「映畫のシナリオとして」といふ小書をつけておいた。
虚無の歌 ヱビス橋のビアホールは、省線の惠比壽驛に近く、工場區街にあり、常客の大部分が職工や勞働者であるため、晝間
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