後にかくされて居り、縹渺として捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、捉へることができるやうに思はれた。何かの忘れたことを思ひ出す時、それがつい近くまで來て居ながら、容易に思ひ出せない時のあの焦燥。多くの人人が、たれも經驗するところの、あの苛苛した執念の焦燥が、その時以來憑きまとつて、絶えず私を苦しくした。家に居る時も、外に居る時も、不斷に私はそれを考へ、この詰らない、解りきつた言葉の背後にひそんでゐる、或る神祕なイメーヂの謎を摸索して居た。その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元で囁いて居た。惡いことにはまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの押韻をし、最後に長く「クリート」と曳くのであつた。その神祕的な意味を解かうとして、私は偏執狂者のやうになつてしまつた。明らかにそれは、一つの強迫觀念にちがひなかつた。私は神經衰弱症にかかつて居たのだ。
或る日、電車の中で、それを考へつめてる時、ふと隣席の人の會話を聞いた。
「そりや君。駄目だよ。木造ではね。」
「やつぱり鐵筋コンクリートかな。」
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