散文詩でも、ボードレエルのそれでも、すべて散文詩と呼ばれるものは、一般に他の純正詩(抒情詩など)に比較して、内容上に觀念的、思想的の要素が多く、イマヂスチツクであるよりは、むしろエツセイ的、哲學的の特色を多量に持つてる如く思はれる。そこでこの點の特色から、他の抒情詩等に比較して、散文詩を思想詩、またはエツセイ詩と呼ぶこともできると思ふ。つまり日本の古文學中で、枕草子とか方丈記とか、または徒然草とかいつた類のものが、丁度西洋詩學の散文詩に當るわけなのである。
 枕草子や方丈記は、無韻律の散文形式で書いてゐながら、文章それ自身が本質的にポエトリイで、優に節奏の高い律的の調べと、香氣の強い藝術美を具備して居り、しかも内容がエツセイ風で、作者の思想する自然觀や人生觀を獨創的にフイロソヒイしたものであるから、正にツルゲネフやボードレエルの散文詩と、文學の本質に於て一致してゐる。ただ日本では、昔から散文詩といふ言葉がないので、この種の文學を隨筆、もしくは美文といふ名で呼稱して來た。然るに明治以來近時になつて、日本の散文詩とも言ふべき、この種の傳統文學が中絶してしまつた。もちろん隨筆といふ名で呼ばれ
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