の翌朝に於ての悔恨が、いかに苦苦しく腹立たしいものであるかを忘れて。げにかくの如きは、あの幸福な[#「幸福な」に傍点◎]飲んだくれの生活ではない[#「ない」に傍点◎]。それこそは我等「詩人」の不幸な[#「不幸な」に傍点◎]生活である。ああ泥醉と悔恨と、悔恨と泥醉と。いかに惱ましき人生の雨景を蹌踉することよ。
夜汽車の窓で
夜汽車の中で、電燈は暗く、沈鬱した空氣の中で、人人は深い眠りに落ちてゐる。一人起きて窓をひらけば、夜風はつめたく肌にふれ、闇夜の暗黒な野原を飛ぶ、しきりに飛ぶ火蟲をみる。ああこの眞つ暗な恐ろしい景色を貫通する! 深夜の轟轟といふ響の中で、いづこへ、いづこへ、私の夜汽車は行かうとするのか。
荒寥たる地方での會話
「くづれた廢墟の廊柱と、そして一望の禿山の外、ここには何も見るべきものがない。この荒寥たる地方の景趣には耐へがたい。」「さらば早くここを立ち去らう。この寒空は健康に良ろしくない。」「まて! 沒風流の男よ。君はこの情趣を解さないか、この廢墟を吹きわたる蕭條たる風の音を。舊き景物はすべて頽れ、新しき市街は未だ興されない。いつさいの信仰は廢つて、瘴煙は地に低く立ち迷つてゐる。ああここでの情景は、すべて私の心を傷ましめる。そしてそれ故に[#「それ故に」に傍点◎]、げに私はこの情景を立ち去るにしのびない。」
パノラマ館にて
あふげば高い蒼空があり、遠く地平に穹窿は連なつてゐる。見渡す限りの平野のかなた、仄かに遠い山脈の雪が光つて、地平に低く夢のやうな雲が浮んでゐる。ああこの自然をながれゆく靜かな情緒をかんず。遠く眺望の消えて盡きるところは雲か山か。私の幻想は涙ぐましく、遙かな遙かな風景の涯を追うて夢にさまよふ。
聽け、あの悲しげなオルゴルはどこに起るか。忘れた世紀の夢をよび起す、あの古めかしい音樂の音色はどこに。さびしく、かなしく、物あはれに。ああマルセーユ、マルセーユ、マルセーユ……。どこにまた遠く、遠方からの喇叭のやうに、錆ある朗らかのベースは鳴りわたる。げにかの物倦げなベースは夢を語る。
「ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし。時は西暦千八百十五年。所はワータルローの平原。あちらに遠く見える一葦の水はマース河。こなた一圓の人家は佛蘭西の村落にございます。史をひもとけば六月十八日。佛蘭西の皇帝ナポレオン一世は、この所にて英普聯合軍と最後の決戰をいたされました。こなた一帶は佛蘭西軍の砲兵陣地、あれなる小高き丘に立てる馬上の人は、これぞ即ち蓋世の英雄ナポレオン・ボナパルト。その側に立てるはネー將軍、ナポレオン麾下の名將にして、鬼と呼ばれた人でございます。あれなる平野の大軍は英將ウエリントンの一隊。こちらの麥畑に累累と倒れて居ますのは、皆之れ佛蘭西兵の死骸でございます。無慘やあまたの砲車は敵彈に撃ち碎かれ、鮮血あたりの草を染めるありさま。ああ悲風蕭蕭たるかなワータルロー。さすが千古の英雄ナポレオン一世も、この戰ひの敗軍によりまして、遠くセントヘレナの孤島に幽囚の身となりました。こちらをご覽なさい。三角帽に白十字の襷をかけ、あれなる間道を突撃する一隊はナポレオンの近衞兵。その側面を射撃せるはイギリスの遊撃隊でございます。あなたに遙か遠く山脈の連なるところ、煙の如く砂塵を蹴立てて來る軍馬の一隊は、これぞ即ち普魯西の援軍にして、ブリツヘル將軍の率ゐるものでございます。時は西暦一八一五年、所は佛蘭西の國境ワータルロー。――ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし」
明るい日光の野景の涯を、わびしい砲煙の白くただよふ。靜かな白日の夢の中で、幻聽の砲聲は空に轟ろく。いづこぞ、いづこぞ、かなしいオルゴルの音の地下にきこゆる。あはれこの古びたパノラマ館! 幼ない日の遠き追憶のパノラマ館! かしこに時劫の昔はただよひゐる。ああかの暗い隧路の向うに、天幕《てんと》の青い幕の影に、いつもさびしい光線のただよひゐる。
喘ぐ馬を驅る
日曜の朝、毛竝の艶艶とした二頭の駿馬を驅つて、輕洒な馬車を郊外の竝木路に走らせる。といつたのとは、全然反對の風景がそこにありはしないか。曇天の重い空の下で、行き惱んだ運搬車。馭者はしきりにあせるけれども、駄馬が少しも動かないといつたやうな、さういふ息苦しい景色がありはしないか。いかに思想家よ。すつかりと荷造りされたる思想の前に、言葉が逡巡して進まないといふやうな、我等の鬱陶しき日和の多いことよ。
春のくる時
扇もつ若い娘ら、春の屏風の前に居て、君のしなやかな肩をすべらせ、艶めかしい曲線は足にからむ。扇もつ若い娘ら、君の笑顏に情をふくめよ、春は來らんとす。
AULD LANG SYNE!
波止場に於て、今や出帆しようとする船の上から、彼の合圖をする人に注意
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