く無力であることなどを、彼等は經驗によつてよく知つてる。出産によつて、今や彼等はその分身を、生存競爭の鬪爭場に送り出し、かつて自分等が經驗した、その同じ地獄の試練に耐へさせねばならないのだ。そして此所に、親たちの痛ましい決意がある。「決して子供は、自分のやうに苦勞させてはならない。」かく世の親たちは、一樣に皆考へてる。だが宇宙の決定されてる方則は、悲しい人間共の祈祷を、甘やかしに聽いてはくれないのである。宇宙の方則は辛辣であり、何人に對しても苛責なく、殘忍無慈悲に鐵則されてる。この世で甘やかされるものは、その暖かい寢床《ベツト》に眠つて、母親にかしづかれてる子供だけだ。だがその子供ですら、既に生れ落ちた日の肉體の中に、先祖の業《カルマ》した樣樣の病因をもち、性格と氣質の決定した素因を持つてるのだ。そして此等の素因が、避けがたく既に彼等の將來を決定してゐる。どんなにしても、人はその「豫定の運命」から脱がれ得ない。すべての人人は、生れ落ちた赤兒の時から、恐ろしい夢魔に惱まされてる。その赤兒たちの夢の中には、いつも先祖の幽靈が現はれて、彼等のやがて成長し、やがて經驗するであらうところの、未知の魑魅魍魎について語るのである。――人間の意志の力ではなく、自然の氣まぐれな氣流ばかりが、鯉幟りの魚を泳がすやうに、我我の子供等もまた、運命を占筮されてゐるのである。


 情緒よ! 君は歸らざるか  この「胡弓」は戀を表徴してゐる。古い、侘しい、遠い日の失戀の詩である。或はまた、私から忘られてしまつた、昔の悲しいリリツクを思ふ詩である。

 港の雜貨店で  ノスタルヂア! 破れた戀の記録である。

 死なない蛸  生とは何ぞ。死とは何ぞ。肉體を離れて、死後にも尚存在する意識があるだらうか。私はかかる哲學を知らない。ただ私が知つてることは、人間の執念深い意志のイデアが、死後にも尚死にたくなく、永久に生きてゐたいといふ願望から、多くの精靈《スピリツト》を創造したといふことである。それらの精靈《スピリツト》は、目に見えない靈の世界で、人間のやうに飲食し、人間のやうに思想して生活してゐる。彼等の名は、餓鬼、天人、妖精等と呼ばれ、我等の身邊に近く住んで、宇宙の至る所に瀰漫《びまん》してゐる。水族館の侘しい光線がさす槽の中で、不死の蛸が永遠に生きてるといふ幻想は、必しも詩人のイマヂスチツクな主觀ではないだらう。

 鏡  戀愛する「自我」の主體についての覺え書。戀愛が主觀の幻像であり、自我の錯覺だといふこと。

 虚數の虎  「機因《チヤンス》」といふ現象は、客觀的には決定されたもの(因果律の計算する必然的な數字)であるけれども、主觀的には全く氣まぐれな運であり、偶然のもの[#「偶然のもの」に傍点◎]にすぎない。賭博の興味は、その氣まぐれな運をひいて、偶然の骰子《さいころ》をふることから、必然の決定されてる結果を、虚數の上に賭け試みることの冒險にある。すべての博徒等は、その生涯を惜しげもなく、かかる冒險に賭けて悔いないところの、烈しい情熱を持つてゐる。しかしながらその情熱は、何の實數的所得もないところの、單なる虚數の浪費にすぎない。怒れる虎が、空洞に咆えるやうなものである。

 自然の中で  「耳」といふ題で、私は他の別のところに、この短かい詩を書き改へた。その全文は

  山の中腹に耳がある。

 何れにしても同じく、表現しようとしたことは、永劫の時間に渡つて、無限の空間に實在してゐるところの、大自然の巨人のやうな靜寂さを描いたのである。老子の所謂「谷神不死」「玄ノ玄、牝ノ牝、コレヲ玄牝ト謂フ」の類。

 觸手ある空間  東洋に於て宿命的なるものは、必しも建築ばかりでない。

 大佛  大佛は、東洋人の宗教的歸依が心象する夢魔である。

 黒い洋傘  洋傘は宿命を象徴する。

 國境にて  過去の思想や慣習を捨て、新しい生活へ突進する人は、その轉生の旅行に於て、汽車が國境を越える時に、舊き親しかつた舊知の物への、別離の傷心なしに居られない。

 齒をもてる意志  生きんとする意志。生殖しようとする意志。すべての生物は、その盲目的な生命本能の指令によつて、悲しくも衝動のままに動かされてる。ひとり寂しく、薄暮の部屋に居る時さへも、鱶のやうに鋭どい齒で、私の肉に噛みついてくる意志!

 墓  死とは何だらうか? 自我の滅亡である。では自我《エゴ》とは何だらうか。そもそもまた、意識する自我《エゴ》の本體は何だらうか? デカルトはこれを思惟の實體と言ひ、カントは認識の主辭だと言ひ、ベルグソンは記憶の純粹持續だと言ひ、シヨペンハウエルと佛教とは、意志の錯覺によつて生ずるところの、無明と煩惱の因縁《いんねん》だと言ふ。そして尚近代の新しい心理學者は、自我の本體を意識の
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