生が、ナポレオン的超人にならうとイデアした思想の哲學的心境がよく解り、一層意味深く讀み味へた。その讀後の深い印象から、僕はラスコリニコフを以て自ら氣取り、滑稽にもその小説的風貌を眞似たりした。夜は夜で、夢の中に老婆殺しの恐ろしい幻影を見た。
この時以來、僕は完全なドストイェフスキイ・マニアにかかつた。それから彼の文庫を渉獵して、日本語の飜譯がある限り、一つ殘さず讀み耽つた。しかし多くの物の中で、就中最も感銘が深かつたのは、彼のシベリア流刑記を自傳した「死人の家」であつた。これと前記の二作とは、おそらくド氏の三部代表作であるだらう。ただ「惡靈」だけは、どういふものか興味がないので途中で止めた。「白痴」を讀んだ時は、主人公の精神病的な異常氣質が、たまたま僕とよく酷似してゐる點があるので怖くなつた。僕がそれほど強くドストイェフスキイに魅力された原因も、おそらく作者との氣質的、血液類似型的の生理關係にあるのか知れない。もつとも僕の讀書の仕方は、すべて皆生理的である。ポオも、ニイチェも、ショーペンハウエルも、僕はすべて我流の仕方で、神經生理學的に讀むのであり、さうでない限り、僕に讀書の興味はないのであるが、ドストイェフスキイの場合は、僕との氣質的類似の機縁で、特にそれがはつきりして居た。
當時僕は詩を作り、初めて文壇的に出發したので、二三の友人と共に同人雜誌を發行して居た。それは「感情」といふ名前の雜誌で、同人には室生犀星、山村暮鳥等の詩人が居た。前にも書いた通り、この時代は白樺派の活躍した全盛時代だつたので、自然その影響を受けたらしく、山村君や室生君等やの詩にも、多少人道主義的傾向が現れ、トルストイズムの臭氣が濃厚だつた。然るに僕はトルストイが嫌ひであり、且つ白樺派のジャーナリズムに輕侮の反感を抱いて居たので、此等の友人等に向つて、僕は大いにドストイェフスキイの惡靈的神祕文學を推薦した。僕の推薦した意味は、人道主義などといふ淺薄のものを捨てて、ドストイェフスキイから深刻な文學を學べといふ意味だつた。
トルストイの愛讀者であつた山村君や室生君は、直ちに僕の言をいれてドストイェフスキイを讀み始め、後には全く僕以上の熱愛讀者になつてしまつた。しかし本來僕と人間的氣質を異にし、且つ生理的にも健康性を多分に持つてる二人の詩人が、僕と同じ仕方でドストイェフスキイを讀む筈が無かつた
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