月光の水にひたりて
わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか
つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに
たましひは凍えんとし
ふかみにしづみ
溺るるごとくなりて祈りあぐ。
かしこにここにむらがり
さ青にふるへつつ
くらげは月光のなかを泳ぎいづ。
[#改丁]
郷土望景詩
[#改ページ]
中學の校庭
われの中學にありたる日は
艶《なま》めく情熱になやみたり
いかりて書物をなげすて
ひとり校庭の草に寢ころび居しが
なにものの哀傷ぞ
はるかに青きを飛びさり
天日《てんじつ》直射して熱く帽子に照りぬ。
波宜亭
少年の日は物に感ぜしや
われは波宜亭《はぎてい》の二階によりて
かなしき情歡の思ひにしづめり。
その亭の庭にも草木《さうもく》茂み
風ふき渡りてばうばうたれども
かのふるき待たれびとありやなしや。
いにしへの日には鉛筆もて
欄干《おばしま》にさへ記せし名なり。
二子山附近
われの悔恨は酢えたり
さびしく蒲公英《たんぽぽ》の莖を噛まんや。
ひとり畝道をあるき
つかれて野中の丘に坐すれば
なにごとの眺望かゆいて消えざるなし。
たちまち遠景を汽車のはしりて
われの心境は動擾せり。
才川町
――十二月下旬――
空に光つた山脈《やまなみ》
それに白く雪風
このごろは道も惡く
道も雪解けにぬかつてゐる。
わたしの暗い故郷の都會
ならべる町家の家竝のうへに
かの火見櫓をのぞめるごとく
はや松飾りせる軒をこえて
才川町こえて赤城をみる。
この北に向へる場末の窓窓
そは黒く煤にとざせよ
日はや霜にくれて
荷車巷路に多く通る。
小出新道
ここに道路の新開せるは
直《ちよく》として市街に通ずるならん。
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方《よも》の地平をきはめず
暗鬱なる日かな
天日家竝の軒に低くして
林の雜木まばらに伐られたり。
いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。
新前橋驛
野に新しき停車場は建てられたり
便所の扉《とびら》風にふかれ
ペンキの匂ひ草いきれの中に強しや。
烈烈たる日かな
われこの停車場に來りて口の渇きにたへず
いづこに氷を喰《は》まむとして賣る店を見ず
ばうばうたる麥の遠きに連なりながれたり。
いかなればわれの望めるものはあらざるか
憂愁の暦は酢え
心はげしき苦痛にたへずして旅に出でんとす。
ああこの古びたる鞄をさげてよろめけども
われは瘠犬のごとくして憫れむ人もあらじや。
いま日は構外の野景に高く
農夫らの鋤に蒲公英の莖は刈られ倒されたり。
われひとり寂しき歩廊《ほうむ》の上に立てば
ああはるかなる所よりして
かの海のごとく轟ろき 感情の軋《きし》りつつ來るを知れり。
大渡橋
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直《ちよく》として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自轉車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故郷にありてゆかず
鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤獨の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干《らんかん》にすがりて齒を噛めども
せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で
頬《ほ》につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
往《ゆ》くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。
廣瀬川
廣瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯《らいふ》を釣らんとして
過去の日川邊に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちひさき魚は眼《め》にもとまらず。
利根の松原
日曜日の晝
わが愉快なる諧謔《かいぎやく》は草にあふれたり。
芽はまだ萌えざれども
少年の情緒は赤く木の間を焚《や》き
友等みな異性のあたたかき腕をおもへるなり。
ああこの追憶の古き林にきて
ひとり蒼天の高きに眺め入らんとす
いづこぞ憂愁ににたるものきて
ひそかにわれの背中を觸れゆく日かな。
いま風景は秋晩くすでに枯れたり
われは燒石を口にあてて
しきりにこの熱する 唾《つばき》のごときものをのまんとす。
公園の椅子
人氣なき公園の椅子にもたれて
われの思ふことはけふもまた烈しきなり。
いかなれば故郷《こきやう》のひとのわれに辛《つら》く
かなしきすもも[#「すもも」に傍線]の核《たね》を噛まむとするぞ。
遠き越後の山に雪の光りて
麥もまたひとの怒りにふるへをののくか。
われを嘲けりわらふ聲は野山にみち
苦しみの叫びは心臟を破裂せり。
かくばかり
つれなきものへの執着をされ。
ああ生れたる故郷の土《つち》を蹈み去れよ。
われは指にするどく研《と》げるナイフをもち
葉櫻のころ
さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり。
[#改丁]
郷土望景詩の後に
[#改ページ]
※[#ローマ数字1、1−13−21] 前橋公園
前橋公園は、早く室生犀星の詩によりて世に知らる。利根川の河原に望みて、堤防に櫻を多く植ゑたり、常には散策する人もなく、さびしき芝生の日だまりに、紙屑など散らばり居るのみ。所所に悲しげなるベンチを据ゑたり。我れ故郷にある時、ふところ手して此所に來り、いつも人氣なき椅子にもたれて、鴉の如く坐り居るを常とせり。
※[#ローマ数字2、1−13−22] 大渡橋
大渡橋《おほわたりばし》は前橋の北部、利根川の上流に架したり。鐵橋にして長さ半哩にもわたるべし。前橋より橋を渡りて、群馬郡のさびしき村落に出づ。目をやればその盡くる果を知らず。冬の日空に輝やきて、無限にかなしき橋なり。
※[#ローマ数字3、1−13−23] 新前橋驛
朝、東京を出でて澁川に行く人は、晝の十二時頃、新前橋の驛を過ぐべし。畠の中に建ちて、そのシグナルも風に吹かれ、荒寥たる田舍の小驛なり。
※[#ローマ数字4、1−13−24] 小出松林
小出の林は前橋の北部、赤城山の遠き麓にあり。我れ少年の時より、學校を厭ひて林を好み、常に一人行きて瞑想に耽りたる所なりしが、今その林皆伐られ、楢、樫、※[#「木+無」、第3水準1−86−12]の類、むざんに白日の下に倒されたり。新しき道路ここに敷かれ、直として利根川の岸に通ずる如きも、我れその遠き行方を知らず。
※[#ローマ数字5、1−13−25] 波宜亭
波宜亭、萩亭ともいふ。先年まで前橋公園前にありき。庭に秋草茂り、軒傾きて古雅に床しき旗亭なりしが、今はいづこへ行きしか、跡方さへもなし。
※[#ローマ数字6、1−13−26] 前橋中學
利根川の岸邊に建ちて、その教室の窓窓より、淺間の遠き噴煙を望むべし。昔は校庭に夏草茂り、|四つ葉《くろばあ》のいちめんに生えたれども、今は野球の練習はげしく、庭みな白く固みて炎天に輝やけり。われの如き怠惰の生徒ら、今も猶そこにありやなしや。
[#改丁]
跋
萩原朔太郎! 少年時からの懷かしさで、今では兄のやうに思へる。氏と語る時には、常に寡默な輕い憂鬱さを知る。秀でた人のもつ善良の味だ。私は實にその偏奇な高潔さが好きだ。卓を挾んで拳鬪家のやうに語り合ふ事は、極めて尠い。が、語る!
怒り、淋しい頽廢の怒り、閃く、自棄的な時、どこにも快活な、何物へも得意さと云ふものが現はれない日、病的な程堪へ難い日がある。また晴天の日、松林を走るやうな愉快な疳の高い日の氏は、腸の蟲まで笑ひこける、押へつけられないやうな氣がする。其程、輕快な警句が躍り上る。
然し、一體に重い影の中に、氏の姿はある。
四月、自分が見すぼらしい下宿の二階を間借りしてゐる氏を訪ねて、今度の「郷土望景詩集」の原稿を拜見した時、その多くが餘りにも、激越的な忍耐強い人のよくする怒りが、綴られてゐるのに驚いた。其時、氏と散歩して來た、非感覺的な櫻の花が咲きみだれてゐた前橋公園や、かつて「雲雀の巣」に歌はれた堤防附近や、その他抒情的風景の多くが、氏にとつて内心の惡舌を吐きかける所となつてゐるのに驚いたのであつた。内心の惡舌は即ち内心の泣訴である。「友よ、君が生活を匿して、その魂を示せ!」※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]クトル・ユウゴウの言葉そのものが、その中にひそんでゐる。
氏が、郷土に於ける生活は、さなきだに因習的な莫迦らしい制度や、臆面もない抑壓的なものが、自然と外から内へまで、のさばり込んだらしい。それへの怒り! 即ち生活的の苦[#「苦」に丸傍点]は、藝術的の怒り[#「藝術的の怒り」に丸傍点]となつて現はれたのだ。自分はこの堪へ難いやうな作品を見た時に、藝術的であると云ふ言葉をもつて、之等の詩に對する事を排けなくてはならぬと思つた。何故なれば、餘りにも、藝術のもつムード以外の生活的悲鳴が、之等を領してゐたからである。
「月に吠える」や「青猫」によつて氏を洞見してゐた讀者は、如何にこの詩集によつて驚異するであらう。以上の詩集によつて知らるる氏は、強い厭生思想者であり、神祕的な詩人である。この眼をつぶつた、齒を食ひしばつた怒りを知らない。この現實的な苦悶を知らない。
最近の氏には、今までにない内攻する苦悶が見える。田舍に住む事以外に、多樣の堪へ難い行き詰りがあるらしい。殊に何物かの甚だしい行き詰りがあるらしい。この詩集はそれへの一つの暗示であるやうに思ふ。
ともあれ、この詩集に於いては、孤獨に生きねばゐられなかつた氏が、孤獨に生きる事の苦しさを告白した、悲痛なる一種の記録である。今、自分が氏に就いて語らうとするのは早計である。けれ共、氏に就いて語らうとする者は、この詩集を繙いて、如何に如實なる氏を知る事が出來るであらう。生活者としての氏を識る者は、藝術家としての氏を敬する以上に、惱ましいまでの親和を感ずるであらう。
尠くもこの詩集によつて、氏に一轉化の來たされんとしつつあるは、誤らない事實だ。昨日の高踏的詩風に、この現實的なバツクの浸潤を加へる事によつて、氏の藝術境は一層の深刻を加へる事であらう。私は此等の詩に接して、更に更に何等のあます所なく、どんなに愉快な喜びの念にうたれるか知れない。と共に、苦蓬酒のやうな生活の中に、隱忍的の苦を送つてゐられる氏を、強い感激的な念にうたれざるを得ない。以上を跋文の形として、日頃の喜びと、懷しさを、更に更に高く捧げたく思ふ私である事は、世の多くの讀者とまたすこしも變らないのである。
大正十三年初秋
[#地から3字上げ]萩原恭次郎
底本:「萩原朔太郎全集 第二卷」筑摩書房
1976(昭和51)年3月25日初版発行
底本の親本:「純情小曲集」新潮社
1925(大正14)年8月12日発行
※室生犀星の序文は省きました。
※底本では一行が長くて二行にわたっているところは、二行目が1字下げになっています。
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング