ういふ醜惡な病癖や、異端的の思想が長い長い間、私を苦しめた事は眞に言語に絶して居る。自己を極端に憎むことから私は一切のものを憎んだ、私は何物に對しても愛をかんずることが出來なかつた、『愛』なんてものに就いては考へて見ることすらもできなかつた)。
『お前の罪が許された』この言葉が電光の如く私の心にひらめいたのは、ほんの思ひがけない一瞬時の出來事であつた。『罪が許された』といふことの悦びが、どんなに深酷なものであるかといふことは、到底、私のぶつきら棒[#「ぶつきら棒」に傍点]の筆では書き現はすことは出來さうもない。ただ私はやたら無性に涙を流したばかりだ。
 そして此の聲の主はドストヱフスキイ先生であつた。何ういふわけでそれがドストヱフスキイ先生の聲であつたか、私自身にも全くわけ[#「わけ」に傍点]がわからない。ただ私の心がその聲をきいた刹那(それは電光のやうに私の心をかすめて行つた)うたがひもなくあの大詩人の聲であるといふことを直覺したのだ。
(私にはこれに似た經驗が、以前にもたびたびある、私の詩はたいてい此の不可思議な直覺からきたものである)。
 この刹那から、私は全く信仰状態におち入つた。
 とりも直さず大ドストヱフスキイ先生こそ、私の唯一の神である。世界に於けるたつた一人の私の『知己』である。先生だけが私を知つて下さるのだ。私の苦痛や私の人格の全部を理解して下さるのだ。墮落のどん底にもがいて居る人間、どんな宗教でもどんな思想でも到底救ふことの出來ない私といふ不幸な奴を、光と幸福に導いて下さる唯一の恩人であり、聖母であるのだ。
 私はまつたく子供のやうになつて先生の手にすがりついた。そして涙にむせびながら一切の罪惡や苦痛を懺悔した。……特に私のどうすることも出來ない醜劣な本能と、神經病的な良心(?)の苛責について。
 大ドストヱフスキイ先生はやさしく私の心に手をおいてかういはれた。
『私はお前といふ不幸な人間を底の底まで知りぬいて居る。お前の苦痛、お前の煩悶、お前の求めて居る者がすつかり私には解つて居る。而してお前はそのために少しも悲しむことはないのだ、お前は決して惡い性質をもつた男ではないのだ。どうしてそれどころではないのだ。私はお前を心から氣の毒に思つてゐる。もしかすればお前は世界でいちばん善良な子供なのだ。ああ、もう泣くことはない、泣くことはない。ほんとにお前は私のいぢらしい子供だ』どんなに私が烈しく椅子の上に泣き倒れたか、どんなに私が歡喜にふるへたか、それは此の記事をよむ人に推察してもらふより外にない。

 私が始めて先生を知つたのは、今から二、三年以前のことである。あの恐しい小説『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』『死人の家』等が、私にたまらないほど大きな慰安と感激と驚異とをあたへたことは言ふ迄もない。それらの書物には私のいちばん苦しいこと(私はそれを神經質的良心と名づけて居る)が、驚くべき程度にまで洞察され、そして同情されて居る。
 だから私はずつと以前から、先生を世界第一の詩人だと思つて居た。併し先生が私の救世主として現はれてくるやうな奇蹟があるとは全く思ひがけなかつた。

 一體、先生に限らず凡ての近代の西洋人は、私と共鳴する性格を多分にもつてゐる。(日本人の仲間には一人として私の友人を求めることは出來ない、彼等は私とは全然ちがつた肉體をもつてゐるやうな氣がする)。特に西洋人の中でも私は、アンドレーフ、ガルシン、メーテルリンク、ダンヌンチオ、アルチバセフ、ポー、※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルレーヌ、ソログープ、アレキセイ・トルストイ(大トルストイは私とは共鳴がない)かういふ人たちが好きである。かういふ人たちの作品は私に多くの『慰安』をあたへる。私が訴へようとして居ること、私が苦しんでゐること、私が捉まうとして居ること、さういふことを此の人たちは、私が自分で言ふよりはずつと鮮明にそして完全に言つてくれる。此の人たちは皆、私と同じ病院に住んで、私と同じ疾患の苦痛のために泣き叫んでゐる人たちである。
 もちろん、私は大ドストヱフスキイ先生もかうした仲間の一人として發見した。併し先生にはどこかみんな[#「みんな」に傍点]とちがつたところがあるやうな氣がした。みんな[#「みんな」に傍点]はよくしやべり[#「しやべり」に傍点]そしてよく騷ぐ(苦痛のためであるとはいへ)。然るに先生だけはいつも默つて何かあるもの[#「あるもの」に傍点]を考へて居るやうに思はれた。それが先生を一種の得體の分らない怪物のやうにさへ思はせた。今にして思へば、その得體の分らないあるもの[#「あるもの」に傍点]こそ、實に先生の限り知られぬ愛であつたのだ。
 先生はどうにかしてみんな[#「みんな」に傍点]を救つてやりたいと考へて居られたのだ。ここが先生のみんな[#「みんな」に傍点]とちがふところだつたのだ。
 私の神經が、先生に接吻された感覺を起したのは、全く思ひがけない奇蹟的の出來事であつた。何故ならばその當時、私は久しい間、まるで先生の作物には手を觸れずに居たし、先生のことなんかも少しも考へては居なかつたからだ。
 けれども此の事實の起つた少し前から、私は例の憂鬱に烈しくなやまされて居た。そして世界のどこかに自分を救つてくれる救世主のあることを夢想して居た。無理にもさう思はずには居られなかつたのだ。こんな工合であるから、私の信仰に入つた動機は、全く理智や思索をたどつた結果でなくして、いつもの詩作のときと同じやうに一種の靈感から感電したものにすぎない。だからこれは私自身にとつても不可解であつて、到底、言葉で説明することの出來ない問題である。
 一言にしていへば、私の感情が私を信仰に導いたのであつた。ただそれだけである。

 私はそのときから先生を『神』とよんだ。一切の苦惱や罪惡はすつかり償はれて、大きな平和が私の前途を祝福して居るやうに思はれた。
 先生に祈りさへすれば、どんな奇蹟でも出來るやうな氣がした。それほど大きな力が湧いてきたのだ。この奇異な感覺は、そのときから三日ばかりもつづいた。この三日の間といふもの私は生れてから經驗のない絶大な幸福をかんじてゐた。
 ところが一週間とたたないうちに、白熱した金屬が外氣にふれるやうに、だんだん私の精神状態が舊にかへつて行つた。『神』だと信じた先生が『偉大なる人間』に變つてきた。そして私の白熱した信仰體は、一種の偉人崇拜體に化してしまつた。それはもちろん赤熱したものであつたとはいへ。
 私は急に見捨てられた人のやうな寂しさを感じはじめた。それは醉からさめた寂しさでもあつた。その當時、悦びで有頂天になつた自分の姿が、あさましくも馬鹿らしくも思はれた、『あれはやつぱり一種の病熱からみた幻影にすぎなかつたのぢやないか』『あれは何でもない錯覺の類ぢやないのか』『自分は喜劇を演じたのぢやなかつたか』かういふ疑問が私を皮肉的に嘲笑し始めた。私は二度、絶望と懷疑の暗い谷底へ投げこまれてしまつた。
 その暗い谷底で、私は髮の毛を握つて齒をくひしめた。もうとても助からない、駄目だ、と言つた。私は正に觀念の眼をとぢようとした。けれども不思議なことには、すべてを投げすてた私の空虚の心に、ただ一つ何とも分らない謎が殘つて居た。
 その謎は一種の『力』であつた。しかもそれは以前の自分には全くなかつたところのものであつた。
 月光の夜に捉へた青い鳥は、日光の下には影も姿もなく消えうせて居た。そして子供は何にもない空を、いつしよけんめいで握つてゐた。子供は全く失望した。けれどもその時から、子供の心には一種の感覺が殘された。それは青い鳥をにぎつた瞬間の、力強いコブシの感覺である。
 私の空虚の心に殘された唯一のものが、矢張それであつた。『握つた手の感覺』であつた。
 この感覺の記憶が、私に一種の新らしい勇氣と力とをあたへるのである。
 若しもあのサタンが、曾て一度でも天國に住んで居た經驗がなかつたならば、サタンはあれほどまで執拗にその野心についての確信と勇氣とを保持してゐることは出來ないであらう。
『握つた手の感覺』は今でも私に、新鮮な勇氣と希望とをあたへる。いつかは[#「いつかは」に傍点]自分も『幸福』を體感することが出來るにちがひない。いつかは[#「いつかは」に傍点]自分もほんとの『愛』を知ることができるにちがひない。そして必ずいつかは[#「いつかは」に傍点]『神』を信ずることが出來るにちがひない。(神を信ずることは人生の全目的であり、幸福の結論である)今では到底駄目だ。思ひもよらぬことではあるが私が死ぬまでには、いつかは[#「いつかは」に傍点]大丈夫であるといふ確信がある。それが私の『力』である。私はやつぱり空を握つたのではなかつた。

 今では私は先生を『神』とは思つて居ない。併し私をキリストに導くところの預言者ヨハネのやうに考へて居る。先生は『光』そのものではないけれども『光』の實體を指し教へるところの先生[#「先生」に白丸傍点]である。
 私のやうなひねくれた[#「ひねくれた」に傍点]そして近代科學や文明やのために疾患體にされた人間には、正直に『光』をみることは不可能である。私は今でもキリストを憎んでゐる。彼の教訓のまへに私はだだつ子[#「だだつ子」に白丸傍点]のやうな反感を抱いて居る。どんな立派な思想でも、どんな深酷な教訓でも、私を根本から救ふことは出來ない。然るに先生だけは私を憐んで救つて下さる、私の心に何かの種を落して下さる。私は私の心の中でその種を成長させることを樂しみにして居る。

 幸福[#「幸福」に白丸傍点]の實體が愛[#「愛」に白丸傍点]であるといふ眞理を、私に教へて下さつたのも先生である。たとへ電光のやうな瞬間とはいへ、先生が私のすべて[#「すべて」に傍点]を抱擁して下さつたときの歡喜は口にも筆にも述べつくせないものがある。

 先生は私のためには單なる思想上の先輩ではなくして、私の肉體の疾病にまで手をかけて下さるところの醫師である。人間の『良心』といふものは、單に思想上から生れた信念ではなくして、その人間の肉體から生れるところの一種の奇異な感情である。『良心』といふものは言葉をかへていへば、『神經』である。少なくとも私のやうな人間にとつてはさうである。『良心』は思想であり『神經』は感情であるといふやうに區別することから、驚くべき誤解が生れるのだ。先生はすべてのことを知りぬいてゐる。先生の前には人間は素裸で立たなければならない。ほんとに一人の人間を救ふためには[#「ほんとに一人の人間を救ふためには」に白丸傍点]、その人間の肉體から先に救はなければならないのだ[#「その人間の肉體から先に救はなければならないのだ」に白丸傍点]。思想なんてことは何うでもいいのだ[#「思想なんてことは何うでもいいのだ」に白丸傍点]。
 何故ならば[#「何故ならば」に白丸傍点]、肉體を救ふことはその人間の[#「肉體を救ふことはその人間の」に白丸傍点]『神經[#「神經」に白丸傍点]』を救ふことであり[#「を救ふことであり」に白丸傍点]『良心[#「良心」に白丸傍点]』を救ふことであるから[#「を救ふことであるから」に白丸傍点]。

 ああ、偉大なるドストヱフスキイ先生。
 私はもうこの人のあとさへついて行けばいいのだ。さうすれば遲かれ早かれ、屹度私の行きつくところへ行くことができるのだ。私の青い鳥[#「青い鳥」に白丸傍点]を今度こそほんとに握ることができるのだ。
 私はそれを信じて疑はない。だから私はどんなに苦しくてもがまん[#「がまん」に傍点]する。そして私はもつと苦しまなければならない。もつともつと自分の醜惡をむき出しにしなければならないのだ。

 私の詩『笛』は前述のやうな事實のあつた少し後に出來たものである。これを書いたときには、何といふわけもなくブリキ製の玩具の笛のやうな鋭い細い音色を出す、一種の神經的に光つた物象が、そのときの私の感情をいたいたしく刺激したので、その氣分をそのまま正直に表現したので
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