には無いであらう。星は月よりも光が弱く、メランコリツクな青白い銀光がない。しかし月よりも距離が遠く、さらに尚無限の遠方にあるといふことから、一層及びがたい思慕の郷愁を感じさせる。そして「この及びがたいものへの思慕」といふことは、それ自体が騎士道のプラトニツク・ラヴと関連してゐる。西洋の抒情詩に月よりも星の方が多く、星がそれ自ら恋愛の表象とさへなつてゐるのはこの故である。しかし日本でも、平安朝時代の貴族文化には、西洋の騎士道とやや類似したものがあつた。当時の智識人や武士たちは、自分より身分階級の高い所の、所謂「やんごとなき」貴族の姫君等に対して、心ひそかに思慕の恋情を寄せ、騎士道的崇拝に似たフエミニズムを満足させてゐた。おそらく彼等は、その恋が到底及ばぬものであり、身分ちがひの果敢ないものであるといふことを、自ら卑下して意識することで、一層哀切にやるせないリリシズムを痛感し、物のあはれの行きつめた悲哀の中に、自らその詩操を培養して居たであらう。それ故に日本歌史上に於て、月の歌が最も多く詠まれてゐるのは、実に当時の平安朝時代であつた。特にさうした失恋の動機によつて、山野に漂泊したと言はれる
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