西行には、就中月の歌が極めて多く、且つそれが皆哀切でやるせないフエミニストの思慕を訴へてゐる。
かくの如く、月は昔の詩人の恋人だつた。しかし近代になつてから、西洋でも日本でも、月の詩が甚だ尠なくなつた。近代の詩人は、月を忘れてしまつたのだらうか。思ふにそれには、いろいろな原因があるかも知れない。あまりに数多く、古人によつて歌ひ尽されたことが、その詩材をマンネリズムにしたことなども、おそらく原因の一つであらう。騎士道精神の衰退から、フエミニズムやプラトニツク恋愛の廃つたことなども、同じくその原因の中に入るかも知れない。さらに天文学の発達が、月を疱瘡《あばた》面の醜男《ぶをとこ》にし、天女の住む月宮殿の連想を、荒涼たる没詩情のものに化したことなども、僕等の時代の詩人が、月への思慕《エロス》を失つたことの一理由であるかも知れない。しかしもつと本質的な原因は、近代に於ける照明科学の進歩が、地上をあまりに明るくしすぎた為である。
かつて防空演習のあつた晩、すべての家々の灯火が消されて、東京市中が真の闇になつてゐた時、自分は家路をたどりながら、初めて知つた月光の明るさに驚いた。そして満月に近い空の月を沁々と眺め入つた。その時自分は、真に何年ぶりで月を見たといふ思ひがした。実際自分は田舎で育つた少年の時以来、実に十何年もの久しい間、殆んど全く月を忘れて居たのであつた。
「月を忘れてゐた」といふ意味は、何の感動も詩情もなしに、無関心にそれを見て居たといふ意味なのである。そしてその時、自分は久しぶりに月を眺めて、既に長く忘れてゐた数多い古人の歌を思ひ起した。
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わが心慰めかねつ更科や姨捨山に照る月を見て
月見れば千々に物こそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねど
中庭地白ウシテ樹ニ鴉棲ム。冷露声ナクシテ桂花ヲ湿ス。今夜月明人尽ク望ム。知ラズ秋思誰ガ家ニ在ル。
独リ江楼ニ上テ思ヒ渺然タリ。月光水ノ如ク水天ニ連ル。同ジク来ツテ月ヲ翫スル人何処ゾ。風景依稀トシテ去年ニ似タリ。
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かうした古人の詩歌が、月に対していかに無量の感慨を寄せてゐるかも、その真闇な都会の夜に、自分はこと珍らしく知つたのである。つまり自分等の近代人が、月に対して無関心になつてゐたのは、照明科学の進歩によつて、地上があまりに明るくなり過ぎて居た為であつた。すべて明暗の関係は対比による。昔の人がそんなにも月に心をひかれたのは、彼等の住んでゐる夜の地上が、甚だ閑寂として居たからである。暗く寂しい夜の曠野に、遠く輝やく灯を見る時ほど、悲しくなつかしい思ひをすることはない。行灯や蝋燭の微かな灯りが、唯一の照明であつた昔は、平安朝の京都や唐の長安の都でさへ、おそらく今人の想像ができないほど、寂しく真闇なものであつたらう。さうした暗い地上に、生魂《すだま》や物の化《け》と一所に住んでゐた彼等にとつて、月光がどんなに明るく、月がどれほど巨大に見えたかは想像できる。
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月天心貧しき町を通りけり
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といふ蕪村の句で、月が非常に大きな満月の如く印象されるのは、周囲が貧しい裏町であり、深夜の雨戸を閉めた家から、微かな灯が僅かにもれるばかりの、暗く侘しい裏通と対比するからである。この句がもし「月天心都大路を通りけり」だつたら、月が非常に小さな物になり、句の印象から消滅してしまふ。実際に銀座通りを歩いてゐる人々は、空に月があることさへも忘れて居るのだ。ところが近代では、都会も田舎もおしなべて電光化し、事実上の都大路になつてゐるのだから、彼等の詩人に月が閑却されるのは当然である。科学は妖怪変化と共に、月の詩情を奪つてしまつた。
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ペルシアの拝火教で、人間の霊魂が火から生まれたことを説いてゐるのは、生物の向火性と対照して、興味の深い哲理を持つてゐる。
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底本:「日本の名随筆30 宙」作品社
1985(昭和60)年4月25日第1刷発行
1987(昭和62)年8月10日第2刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第一一巻」筑摩書房
1977(昭和52)年8月発行
入力:とみ〜ばあ
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月3日作成
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