つた。すべて明暗の関係は対比による。昔の人がそんなにも月に心をひかれたのは、彼等の住んでゐる夜の地上が、甚だ閑寂として居たからである。暗く寂しい夜の曠野に、遠く輝やく灯を見る時ほど、悲しくなつかしい思ひをすることはない。行灯や蝋燭の微かな灯りが、唯一の照明であつた昔は、平安朝の京都や唐の長安の都でさへ、おそらく今人の想像ができないほど、寂しく真闇なものであつたらう。さうした暗い地上に、生魂《すだま》や物の化《け》と一所に住んでゐた彼等にとつて、月光がどんなに明るく、月がどれほど巨大に見えたかは想像できる。
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月天心貧しき町を通りけり
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といふ蕪村の句で、月が非常に大きな満月の如く印象されるのは、周囲が貧しい裏町であり、深夜の雨戸を閉めた家から、微かな灯が僅かにもれるばかりの、暗く侘しい裏通と対比するからである。この句がもし「月天心都大路を通りけり」だつたら、月が非常に小さな物になり、句の印象から消滅してしまふ。実際に銀座通りを歩いてゐる人々は、空に月があることさへも忘れて居るのだ。ところが近代では、都会も田舎もおしなべて電光化し、事実上の都大路になつてゐるのだから、彼等の詩人に月が閑却されるのは当然である。科学は妖怪変化と共に、月の詩情を奪つてしまつた。
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ペルシアの拝火教で、人間の霊魂が火から生まれたことを説いてゐるのは、生物の向火性と対照して、興味の深い哲理を持つてゐる。
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底本:「日本の名随筆30 宙」作品社
1985(昭和60)年4月25日第1刷発行
1987(昭和62)年8月10日第2刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第一一巻」筑摩書房
1977(昭和52)年8月発行
入力:とみ〜ばあ
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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