センチメンタリズムの極致とすれば、その毛の尖端にかじりついて泣く男、それは病気の朔太郎である。それは君も認めてゐる。
「詩は神秘でも象徴でも何でも無い。詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである。」と君は云ふ。まことに君が一本の竹は水面にうつる己が影を神秘とし象徴として不思議がる以前に、ほんとうの竹、ほんとうの自分自身を切に痛感するであらう。鮮純なリズムの歔欷《すすりなき》はそこから来《く》る。さうしてその葉その根の尖《さき》まで光り出す。
君の霊魂は私の知つてゐる限りまさしく蒼い顔をしてゐた。殆ど病み暮らしてばかりゐるやうに見えた。然しそれは真珠貝の生身《なまみ》が一顆小砂に擦《す》られる痛さである。痛みが突きつめれば突きつめるほど小砂は真珠になる。それがほんとうの生身《なまみ》であり、生身から滴《したた》らす粘液がほんとうの苦しみからにじみ出たものである事は、君の詩が証明してゐる。
外面的に見た君も極めて痩せて尖つてゐる。さうしてその四肢《てあし》が常に鋭角に動く、まさしく竹の感覚である。而も突如として電流体の感情が頭から足の爪先まで震はす時、君はぴよんぴよん跳
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