代の作である。而して「見知らぬ犬」と「長詩二篇」とは比較的最近の作に属す。
一、極めて初期の作で「ザムボア」「創作」等に発表した小曲風のもの、及び「異端」「水甕」「アララギ」「風景」等に発表した二、三の作はこの集では割愛することにした。詩風の関係から詩集の感じの統一を保つためである。
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すべて初期に属する詩篇は作者にとつてはなつかしいものである。それらは機会をみて別の集にまとめることにする。
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一、この詩集の装幀に就いては、以前著者から田中恭吉氏にお願ひして氏の意匠を煩はしたのである。所が不幸にして此の仕事が完成しない中に田中氏は病死してしまつた。そこで改めて恩地孝氏にたのんで著者のために田中氏の遺志を次いでもらふことにしたのである。恩地氏は田中氏とは生前無二の親友であつたのみならず、その芸術上の信念を共にすることに於て田中氏とは唯一の知己であつたからである。(尚、本集の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]画については巻末の附録「※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]画附言」を参照してもらひたい。)
一、詩集出版に関して恩地孝氏と前田夕暮氏とには色々な方面から一方ならぬ迷惑をかけて居る。二兄の深甚なる好意に対しては深く感謝の意を表する次第である。
一、集中二、三の旧作は目下の著者の芸術的信念や思想の上から見て飽き足らないものである。併しそれらの詩篇も過去の道程の記念として貴重なものであるので特に採篇したのである。
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再版の序
この詩集の初版は大正六年に出版された。自費の負担で僅かに五百部ほど印刷し、内四百部ほど市場に出したがその年の中に売り切れてしまつた。その後今日に到るまで可成長い間絶版になつて居た。私は之れをそのままで絶版にしておかうかと思つた。これはこの詩集に珍貴な値を求めたいといふ物好きな心からであつた。
しかし私の詩の愛好者は、私が当初に予期したよりも遙かに多数であり且つ熱心でさへあつた。最初市場に出した少数の詩集は、人々によつて手から手へ譲られ奪ひあひの有様となつた。古本屋は法外の高価でそれを皆に売りつけて居た。(古本の時価は最初の定価の五倍にもなつて
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