この余裕性をもたない都市は、世界で紐育と東京だけださうだが、それでもまだ喫茶店があるだけ、東京の方が大阪よりましかも知れない。ニイチエの説によると、絶えず働くと言ふことは、賤しく俗悪の趣味であり、人に文化的情操のない証左であるが、今の日本のやうな新開国では、絶えず働くことが強要され、到底閑散の気分などは楽しめない。巴里の喫茶店で、街路にマロニエの葉の散るのを眺めながら、一杯の葡萄酒で半日も暮してゐるなんてことは、話に聞くだけでも贅沢至極のことである。昔の江戸時代の日本人は、理髪店で浮世話や将棋をしながら、殆んど丸一日を暮して居た。文化の伝統が古くなるほど、人の心に余裕が生れ、生活がのんびり[#「のんびり」に傍点]として暮しよくなる。それが即ち「太平の世」といふものである。今の日本は、太平の世を去る事あまりに遠い。昔の江戸時代には帰らないでも、せめて巴里かロンドン位の程度にまで、余裕のある閑散の生活環境を作りたい。



底本:「日本の名随筆 別巻3・珈琲」作品社
   1991(平成3)年5月25日発行
入力:加藤恭子
校正:M.S
2000年7月14日公開
青空文庫作成ファイル:

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